ひねりのひねり

 ミリアム・ハンセンの『シンドラーのリスト』論を読む。
 以前この映画で論文を書きたいと言う学生を指導したことがあった。ところがその学生はこの映画への表象の不可能性をめぐる批判については何も知らず、スピルバーグヒューマニズムばかりを熱く語っており、辟易した覚えがある。ハンセン論文ぐらいのひねりや戦略がないとこの映画を扱うことはできない。字義通りのものを字義通りに論じようとすることは知的な怠惰さでしかないような気もするからである。つまり字義通りのものがひねりを二回反復したというふうにあえて読むことで、言説の政治に何らかの介入をするということが必要だということである。
続きは明日にでも。