写研と視文研

photographology2005-07-30

■写研
写真は写研の若者5人衆(ひとり欠けているが)。
最初は皆ちっちゃい眼鏡をかけているので見分けがつかなかった。最近ようやくキャラがたってきた感じもする。でももっととっくみあいで議論すればいいのに。

それはさておき、写研。
バタイユ編集の『ドキュマン』を雑誌として読む、つまり当時発行されていたいくつかの雑誌とその流通という社会的文脈から照らし出すという発表。
そしてもうひとつが大正時代の肖像写真に見られる内向的な内面の表出として読み取られる写真の社会的コンテクストからのバックアップ作業の発表であった。

 前者について言えば、その議論の帰結である視覚の壊乱が、同じ時期のドイツ等の雑誌のレイアウトから見れば、きわめておとなしく、それがなぜ壊乱なのかという大きな問題がある。これはたぶん当時のフランスの雑誌文化とその読者層の実証的な裏づけが必要になってくるというのが私の意見。
 後者について言えば、営業的な肖像写真と芸術的な肖像写真のあいだに切り込みながら、その両者の機能を明確に分離し、両者の差異の由来をてがたくおさえるところに議論の屋台骨がある。しかし話を聞いていると、その間の微妙な移行的時期が、発表者の焦点になっている時期でもあった。したがって、もう少し議論をねじる可能性があるのではないかというのが私の意見であった。

■視覚文化研究会

数年前に、写真研究会と並行して写真以外のイメージも含めた発表の場を作ろうとして、その名称を視覚文化研究会とつけ、2回ほど発表会をしたことがある。写研は落ち着いてきたので、視文研を再始動することにした。9月末ぐらいに同志社で開催の予定。詳しくはまた報告します。