シュワルツからド・デューヴへ

■プレテクストとしての蝋人形論

Reading in Detail: Aesthetics and the Feminine

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を注文。
 蝋人形のタブローで人形がモデルにそっくりだからリアルだというだけではなく、細部となる実物(マラーの死んだバスタブとか小説家の筆記用具とか炭鉱の材木とか)がそのリアリスムの一部を担っていたというシュワルツの言を受けて。もちろん当時の新聞雑誌の紙面での物語がプレテクストになっていて、訪問客たちは自ずとタブローの表象の表象性をリアルだと感じ取っていたという指摘も重要ではあるが。
 いずれにしても以前書いた「蝋人形的なもの3」で指摘したことをもう少し先に進めたい。遊歩の視線を検討しなおし、蝋人形のタブローでの視覚的組織化を、当時の視点の変化にすり合わせて別の視点を請け出すこと。
 http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/stereodiary74.htm

 ついでにDonna Harawayのアメリカの自然史博物館のジオラマについての論文も注文。
 たぶん、蝋人形と自然史博物館ジオラマは、ベンヤミン的というかバック=モース的図式を使えば、対の関係になることだろう。自然の社会化と社会の自然化とか。ただし、それだけではつまらない。インデックス論はあまりに分かりやすくて退屈である。少し思案する。

 そろそろ蝋人形フォルダができそうである。
 …でもこれは蝋人形写真論のための下準備。
 あのド・デューヴの写真論の図式を崩すこともできるかもしれない。どちらにもおさまらない写真の幽霊性を発揮させ、タイム写真もスナップ写真も同時に裏返すこと。そのための発火点が蝋人形写真。

 たぶんここを読む人のほとんどは何言っているか分からない内容。

■エンタ
エンタの神様を久々に見る。
アンジャッシュよりもジカチョウのネタをフルに見てみたい。
武勇伝はあともう少しテンポアップしてほしい。
ほかコスプレ芸人の比率が著しく上がっている。しかし、その設定を守りきれる芸人ってどれくらいいるのだろうか疑問。コスプレ芸人は皆、細木数子に面談してもらうといいと思う。以上、思いつき。