すべり芸の美学
■兄キューピー
キューピーの本が届く。
キューピーの異母兄弟はビリケンさんだったのか…。
詳しくは先にあげた『20世紀の天使たち』参照。
■すべり芸の身体論
と言っても、すべり芸人の話ではなく、、、
『人形と情念』第三章から第四章を経て、第五章まで読む。
第三章は人形の本質である衣裳的形成を、ファッション画とファッションショーと人形との比較から議論する章であり、第四章はロボットと人形との差異をその人間との関係性(一義性と多義性、愛の有無)から明らかにし、第五章は山車のからくり人形の動きのいくつかを芸術と祭礼という基本的トーンを維持しつつ美的芸術的観点から読みとる内容。
第三章の歩行論が、本筋からははずれるけれども興味深い。
ファッション・ショーのモデルの歩行、ゆか運動、フィギュア・スケート、飛び込み競技とトランポリン競技。それが、歩行の多様な拡大として議論される。フィギュア・スケートについては例えば以下のように。
「すべるということは、通常の歩行では、歩行の挫折である。…〔中略〕…氷上での跳躍や回転は、歩行を水平方向において拡大強化するものである。…〔中略〕…フィギュア・スケートにおける回転では、そもそも滑ることが前提されている。かくて回転は、銀板の地平における水平的回転ジャンプであり、回転の終了は、すなわち氷上への回帰としての滑走である。そして着地においては、落下の流動、つまりすべることの肯定としての流動の様態が要求される」(84−85頁)。
ジャンプやスピンばかりが注目されているが、ステップやエッジの力線こそスケートの醍醐味だと言うこともできる。
また、これは地平論としても面白い。
確固として動かず、そこから垂直に離脱したり、地表の奥底に沈んでいったりされる硬い表面をそなえた地平を「基盤」にした身体論ではなく、地平そのものが限りなくすべらせる氷のようなものであったり、反動するトランポリンの表面のようなものであったりするならば、違った身体論もできるのではないか。そんなことも思う。
第五章のからくり論、さらにこれを書き継いだものが読んでみたい。また人形芝居や文楽についても。からくりからあのぎこちない動きのストップモーション・アニメーションについても少し考えてみたい。
その前にこのふたつはつくってみる。
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残り二章はまた。
人形美学に蝋人形を侵入させてみる。それが当初の課題。