交流戦

■スープ生活
肉はこたえる。肉づくしコースでさすがに今日一日ダウン。何も胃が受けつけてくれないのでスープ生活。ほとんどおじいさん状態である。
夜半ぼつぼつと復活する。

■道場交流戦

先週末は関西の学部生や院生の卒論修論発表会(視聴覚文化研究会)。
会場は杉の花粉が舞い散り、鼻の粘膜に甘い香が始終はりつく精華大。

 2日に渡ってあちこちの大学の学生がそれぞれの研究成果について話をする。なかにはこういう場がはじめての子もいて、緊張のあまり青ざめたり、後の飲み会で速攻で落ちたり、かみかみの早口になったりしていたが、いい経験になったと思う。僕の勤めている大学はどうしても地理的な条件もあって学生が外に向かって話をする傾向にかけがち。だからこういう企画は面白い試みだと思うし、毎年やってくれればいいと思った。
 準備に当たったひと、発表してぼろぼろになったひと、暫し行方不明になったひと、その他のひとたち、本当におつかれさまでした。

 以下、発表についての感想。

 コーネル論は箱にもう少しこだわってもらうと面白いかもしれない。ノスタルジアの話は少し遠すぎ。繋ぐことができれば面白いけれど。
 広告論は最後の結論が元通りになってしまっていたのが残念。よく整理はされていたけれど。
 東松論は、よく調べているけれど、その分析をもういちど写真の評価や当時の社会や写真史の言説のなかに放り込むと何が取り出せるのかという部分がもう少しほしい。
 リーフェンシュタール論は、まだ形式的な分析が必要で、記述とその抽象化の言葉をもう少し磨かないとならないような気がする。
 ドキュマン論は、プレゼンをまた別の形で組みなおす訓練が必要。また、話自体のネタは充分面白いのだがそれを言い直す言葉がもう少しほしい。
 ボルタンスキー論は、これも面白かったのだが、第二章が少し弱かったのと、第四章の「不鮮明さ」についてはリヒターとの差異を明らかにしてほしい、ド・デューヴ、クラウス、グリッドについての説、グリッドの心的効果の話はもう少し詳しく聞いてみたい。そして、両義的抑圧なるものがではどのようなアクチュアリティをもつのかは考えないといけないと思う。
 ボケ論は、よく調べているし、写真史のリヴィジョニズムにいたることができれば面白いと思った。でも、言説史だけでは少し物足りない感じがした。写真や絵画を媒介にした議論、ある特定の時点や対象に照準化したほうが、議論は面白くなるのではないだろうか。

 以上、覚え書き。各道場交流戦みたいであった。