80年代末

■格闘技引き続き
昨日挙げたプロレス論『プロレスファンという装置』より井上論文、岡村論文、小田論文を読む。プロレスにおいては1980年代末(1988年)という時点がひとつの転換点になったということが分かる。
K−1(1993〜)やPRIDE(1997〜)の起こりはその5年から9年後。
この間のプロレスの動向を抑えるべく年譜を調べる。当然前田日明の事件があり、UWFが絡んでいることが分かる。まだ詳しく調べないとならないが、この時点からプロレス/格闘技を見る/読む方法が揺れていることが分かる。

小田論文で述べられた「ゼロコムニタスとしてのアイロニー」も分かる。ただ、格闘技化する世界をまだ覆えていないような気がしてならない。これはミクシで書いたTV批評の問題とも、広告批評の問題ともつながっている。そして後に触れるアイドル問題も。

■三振する技術

美はなぜ乱調にあるのか―社会学的考察

美はなぜ乱調にあるのか―社会学的考察

を買う。以前批評空間に掲載された「〈精神=身体〉のパースペクティヴ」が収められているもの。これが本書の半分を占める。すでにこれは読んでいたので所収論文のなかでむしろ注目したいのは「イチローの三振する技術」。キーワードは軸をぶらしながら遠心化する身体と物の眼差し。大リーグボールの喩えが上手い。

タモリと仲間たち
私は見ていないけれど、Mステに仲間由紀恵が出たらしい。これはTV批評的には面白い事件になっていないのだろうか。あえて記事をひっかけるためにこれもあげておく。
仲間は批評的対象になる。これは確か。その後id:akfさんの薦めにしたがいダウンロードして見てみる。80年代以降のアイドル論を知っていると、たしかに面白い。それ以上にタモリも仲間もTVに住んでいる感で共有しているものも多いのかもしれないと思う。
小タイトルはそういうこと。