雪崩のごときパノラマ

■手の写真パラダイム 2
 19世紀後半において際立った手写真は、実は心霊写真かもしれない。
 心霊写真と聞いて、現在でも集合写真に写りこんだ、肩にふとのった手を想起する人は多い。しかし19世紀の心霊写真は、写ってしまった手ではなく、写す気満々で記録された心霊の手写真がほとんどである。降霊会の記録写真、それがこの時期の主要な手写真だった。
 降霊会で霊媒師が呼び出す霊は、手から物質化するのが常であった。半ば意識を失った様子の霊媒の後頭部に突き出た手は、そうしたものだったのである。

 手は上の写真のように鋳型を作成すべく液体に入れられ、最終的には石膏の手型になる。
まるで冗談のようだが、心霊の科学的記録写真がこれで目指されていたという。
19世紀末までには写真はベルティヨン法等に見られるように、主体の表象を客観的に記録し、なおかつ部分化・断片化を行い、ファイルされる記号の組み合わせの基礎になる。そうした手の記録写真も多い。主体の同定、同一性の確認の裏で、霊の同定写真は拡がっていた。
 また手の写真を見るとすぐに想起されるのは、催眠術の手であり、テーブルマジックの手でもある。手は注意を惹き、関心を誘導し、露わなものを隠し、隠されているものを露わにする。降霊会もある種のマジックであり、手を繋いで居並んだ面々が別の手の出現に驚愕するショーであった。

 やがて写真における統御不可能な側面が明らかになり、犯罪者の同定が写真から指紋へと移行する。心霊写真史における手はそれよりも長く生き延びているようである。しかし、その位置価値は少しずつずれているのではないのか。過剰で無意識に統御され、主体を超えでる手がそこにはしだいに顕著になっているような気がする。
 そして、世紀転換期を挟んで一方で手を自らの表象の手段とした芸術的写真が存在する一方で、手の過剰を写してしまった写真が続々と登場するのは、手垢と手ズレのついた手の表象から、手のつけられない手の表象へのひとびとの関心の推移を示しているのではないか。

(またまたつづく)

■パノラマ報告作成――――
 再びインスブルックのパノラマについて清書。それに関連して調べものあれこれ。
 チロル解放戦争の英雄ホーファーを讃えたであろう映画、その名は『アルプスの血煙』(原題は『反逆者』)。ホーファーを讃える軍歌サイトとか、調べる。すべて一様に濃い。愛国者たちの危ないサイトをネットサーフィンするのは、雪崩の山の表面を滑っているような感じもする。
 山岳映画サイトはこちら。19世紀の折りたたみ式山岳パノラマ地図とか久々に開いてみる。けっして山登りは好きではない。以前スイスとオーストリアを巡ったときの山の知覚、これが異様に面白かったことは確か。

 ホーファーについては下記に書いたごとし。あの帽子に髭面に半ズボンのいでたちは、過去の表象の問題にとどまらない。リアルにパノラマ展望台であんなのが喚いていたりする。バイエルン風のタイプはさらに数が多い。あの帽子の羽の大きさによってパトリオット度が測定できる。
 ホーファー・パノラマにまつわる伝説もざっと拾う。
 96年開館の直後の冬、降り積もる雪の重みで損傷を被ったとか、パノラマへの世間の関心の衰退の後ロンドン万博へ輸送中にたまたまパノラマ建築が炎上して奇跡的に絵画のみが助かったとか、金メダルを受賞したとか、第一次大戦後に安く購入した所有者がアメリカでの展示を画策して愛国主義者たちの怒りを買って挙句に謎の死を遂げたとか、パノラマ・オデッセイが語られる。