写真うた8

■マドンナ・コネクション
ベスト・ヒット・コレクション [DVD]
スターの写真が出てくる写真うたとして『ヴォーグ』含めて遅まきながらマドンナビデオを通し見する。ついでに『ライク・ア・プレイヤー』のペプシCM版をダウンロードしてみる。ここにはノスタルジーと運動映像の問題を見てとることができる。現在が過去になり、過去が現在になり、未来の過去がペプシの文字とともに見る者に刷り込まれる。
たしかにマドンナは文化的解釈の格好の素材である。
まだ読んでいないけれど、以下の本は少しかじることにする。

マドンナ・コネクション―誘惑・倒錯・破壊・イメージ操作

マドンナ・コネクション―誘惑・倒錯・破壊・イメージ操作

■写真うた
破ったりボケたりしている写真うた。

モンタージュ

モンタージュ

君がどんな顔だったか 使い方の解らない カメラでとったピンぼけ写真 友達のレジを 打つ横顔だけでは やっぱりうまく行かない 君のモンタージュ

ブレボケなソフト写真が過去の幸福なイメージを表象するとしたら、これは物理的にカメラの操作に失敗し、想い出の外的媒体の取得に失敗し、想像力の中でモンタージュする写真うた。

Seiko Box/大全集

Seiko Box/大全集

こちらは破ってセロテープで貼り合わせる写真うた。

光と影の中で 腕を組んでいる 一度破いてテープで貼った蒼いフォトグラフ

文字通りのモンタージュ行為。ただし、過去のいさぎよい切断のしかたは、ある意味で、加藤登紀子並みである。これも松本隆作詞。
もちろん曲名の意味は青写真ではない。


 退色以外の写真の物質的劣化という意味で写真をうたっているのは、

BOARDING

BOARDING

ボロボロで持って歩いた 想い出は写真のよう 都合いい場面ばかりが 心 弱らせてゆく

過去を美化する写真映像と写真の物質的劣化はあたかも反比例するかのごとし。これは過去への執着が現在を消耗させる写真うた。

それにしてもセピア色の写真を通じて想い出や記憶を語るようになったのは、いつ頃からのことなのだろうか。70年代の写真とテレビの報道映像がねじれてカラーとモノクロやセピアのコードを形成したような気もする。