想い出に色をつけること

■色の記憶の像
 Sally Eauclaire のNew Color/New WorkとThe New Color Photographyがようやく到着する。ニュー・カラーをやっている院生がいることもある。ユークレア(と読むのだろう?)の著書にはこれもある。猫写真好きのひとは買ってみてほしい。未見だけれど、猫の他者性をおさえた猫写真集なのかもしれない。表紙だけの妄想だけれども。「猫と写真家は似ている」、それはそうだろう。でも犬型の写真家もたしかにいる。

 それはさておき、
 色と記憶と映像の話を時々考えている。しばしば回想シーンやフラッシュバックのシーンにモノクロや褪せた色が使用されることが多い。写真うたでもそんな事情であった。しかし記憶の色には、実に複雑なしかたでメディア映像が介入していることがほとんどである。70年代のTVの映像と写真映像との拮抗関係や重層関係が、ひとの喚起する記憶の色と像に関係しているように思われるからである。

 もうひとつこの話題でふと想い出すのはこの4本の映画。
ラ・ジュテ [DVD] 12モンキーズ [DVD] めまい [DVD] ブルーベルベット〈無修正版〉 [DVD]
 クリス・マルケルの映画(1962)を学生時代に見たテリー・ギリアムが30年経って別の形で撮ったことはよく知られている。前者はほぼ白黒のスチル、それがギリアムの回想の起点になって後者が製作され、その映画冒頭では、色鮮やかなスローの、起源の不確かな記憶が反芻される。そのなかで主人公が立ち寄る映画館では、年輪を前に男女が時について喋る『めまい』(1958)のあのシーンが上映されている。そういえば、『めまい』の後半の、あの女性が亡霊のように部屋に来てカメラが回転しだすシーンも、回想と現実が混ざり合う、奇妙な色のシーンであった。
 ここに挙げたのは60年代と90年代のみ。その間の80年代にはリンチ『ブルー・ベルベット』がある。これはミクシにでも書いていくと思う。
 そして70年代。色と記憶について70年代には、どのような変容が起きたのか、そのノスタルジア映画はどのようなものがあるのか、そして写真におけるニュートポやニューカラーは、そこにどう絡むのか、そういうことをぼうっと考えている。

■布プリ
 以前、写真を布にプリントして縫い合わせてアルバムを作成するという裁縫コーナーのある番組を見たことがある。検索をしてようやく見つかったのがこれ→ゆるナビ。これももの写真の一例。
 Tシャツの写真プリントのもつ機能とは少々違い、柔らかい布アルバムは、紙写真としての機能も残しつつ、それでいて布の手触りに写真の手触りを編み合わせていく。くうねる系の写真雑誌をもう少し調べてみる。