映像が怖いということ
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- 作者: 高橋洋
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2004/09
- メディア: 単行本
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ここに一人の役者がいたとする。彼を写した写真がある。その写真を見て、さてこれは幽霊か人間か、断定できる人は誰もいない。…〔中略〕…かつて子どもたちの間で、某女優の出演したCMをめぐって奇怪な噂が広まったという。あの女優はすでに死んでいて、CMに映っているのは実は死人なのだと。この噂は、映像は人間と幽霊を明確に区別できないという限界を如実に示していて面白い。この限界を逆手にとって…〔中略〕…撮り続けた偉人が鈴木清順である。
以前別の心霊映画論でもでてきた映像そのものの怖さ。
あるいは、
自主映画を作っていた頃、私はビューアーの中でからからと動く画が気味悪くてならなかった。もはや過去のものでしかないしぐさや笑顔を画面の中の人びとは私の手の動き一つで何度でも繰りかえす。何か恨まれているような居心地の悪さは作業が深夜に及ぶと恐怖に変わる。無限に続く反復に彼らはいつか逆らい、こちらを振り向くのではないか。プロ野球の珍プレーのあの反復する映像にも呪いはべったり張りついている。
反復と呪いと運動映像の問題。
そして
問題は怪奇と恐怖の区別もつかなくなっている事態をホラーという言葉がさらに覆い隠してしまうことにある。/恐怖はショックを介して見る者にとり憑き、否応なく後に引きずる。見る前と見る以前の認識を変更する。「ああ、怖かった」では済まないのである。
心霊映画のショックとはただのショッカーではなく、見る者の存在に関わるショックだということ。
人形についてもとても明快な指摘がある。
それはまた明日。