遺影以上心霊未満


■恐山と写真
について昨日ちらりと聞いた話。
恐山写真と言えば、すでに写真家の作品にもなっているが、恐山には遺影がみっちりぎっしりと展示された建物があるという。別にある一族の遺影写真ではないし、その由来もさまざまだという。それは遺族がもってきたので遺影であるのは確かだが、そこにアーカイヴされ、展示されるということは、遺影以上のものであることがわかる。その人の顔がすでに亡くなった人のものであることは分かるが、それで誰なのかが同定されることはない。そうした意味では心霊写真に限りなく近い。遺影以上心霊未満。
 この件、もう少し調べてみる必要あり。

■プリクラ
Photographs Objects Histories: On the Materiality of Images (Material Cultures)
のプリクラ論を読む。すでに西村『電脳遊戯の少年少女たち』や四方田『「かわいい」論』でも議論されているが、もの写真としてもう少し違う角度から議論できないかと考える。屋外のなかの内である親密な空間、シールというもの、その交換性、フレームや書き込みの多様さ、そのストックのされかた(アーカイヴ性)、地域性と散在性、その空間の歪曲と虚構性、あげつらっていくだけでももの写真論の重要な要素が箇条書きリストになる。
 都市伝説を調べていると、三分間証明写真がじつはもう一部ずつストックされて某当局の管理下にあるのだという伝説がある。それならば、このプリクラのデジタルデータについても同じような伝説があるのではないだろうか。共同体の外には不可視でありおそろしく親密で作りこんだもののアーカイヴとか。
 論文の内容はいずれ。

■人形本
先日挙げたものも含めて、人形系恐怖マンガを全部読む。恐怖マンガの怖さは恐怖の表象を描き込んでいる漫画家の姿にある。山岸のものが一番人形の捨てられなさ、動かなさをうまく表現している。
怪奇人形館 オンデマンド版 [コミック] (青林堂B.O.D.シリーズ)   
 からくり人形ものもいろいろあるが、これは少しジャンルが違う。もちろん動く場合には擬音や擬態語というものが怖さの主調音となっているというのは分かるが。
夜の歌 (少年サンデーコミックス) 人形草紙 あやつり左近 1 (集英社文庫(コミック版))