記憶を編むことと写真

■編むことと写真
 もの写真のなかには髪の束がその構成物の中に組み込まれているものが多い。髪を切って形見として手渡すということがいつ始まったのか、髪を本人の体の一部と見なす儀礼が欧米でいつ始まったのか、その詳細は明確には分からない。しかし、イギリスでは、1850年代半ばには写真と髪を構成物としたロケットの製作は行われるようになるし、アメリカでも南北戦争の際に兵士たちが自身の髪を写真とともに残したそうである。日本でも戦時中にはお守りに妻の写真と髪の毛を入れた例などもどこかで読んだことがある。
 もちろん、髪入りロケットは、必ずしもこうした命を落とすことになるであろう人びとの形見として制作されたのではない。全体の20パーセントが形見的機能を果たしていたという。
 例えばこのロケット。

 「グレー」の髪の毛の男の向かいにガラスに覆われた「赤い」髪の毛。バッチェンによれば、詳細は分かっていないので、いくつかの推測が成り立つ。男が若いときに髪を採取したのか、男が生きている間、その恋人の髪の毛を挿入したのか、それともそれが死後のことなのか。もの写真には複数の時間が交錯する――髪を採取した時間、撮影した時間、髪を装填した時間、この髪と写真を見ている時間。

 そして髪はそのまま環にして装填されるだけではない。髪は編まれ、まるで布地のようにしてブローチの裏面にはめ込まれている。よくみると、色の違う二種類の毛が編み合わされ、さらに先の例でもあったような環になった髪がさらに重ねられている。写真の被写体以外の誰かの毛(恋人である男性)とそして編む素材になったこの女性の髪なのだろうか。
 こうした髪を編んで装飾品にする実践は、アメリカでは家庭で幅広く行われていたようである。記憶の編み手、記憶の保管者としての社会的役割が女性に託されていたという。
 
 しかし、それにしてもなぜインデックスとしての写真にこのような接触魔術のようなことをことさらに加味していかねばならないのか。バッチェンが言うには、二種類のインデックスがここでは補い合っているのであり、二種類の時間が混ざり合っているのであり、そこに写真を後に見るひとの時間も加わってくるらしい。永遠ではないものの長持ちする髪という身体の一部、しばしばインデックスではあるものの、被写体への透明な窓と見なされがちだがその実体はない、現在と過去の間に漂う亡霊のようなイメージ、それが互いに接触しているさまを後の観者は眼にすると同時に触れるのだと。通常の写真論で議論される時間の層よりもかなり事態は複雑である。

 もうひとつだけ例を。これまで視覚と触覚のみでのもの写真の享受を議論していたが、匂いが加わる場合もある。ローズマリーがここには付加され、ケースを開けるたびに想い出は匂いから始まることになる。
 この項ようやく終了。欧米での髪に関するさまざまな儀礼はもう少し資料を集めなければならない。
次は花飾りと写真の予定。

■ネット上のホラー
この季節次々と各サイトでホラー系特集を組んでくれるのでホラーの現在をうかがいしるための参考になる。
ニフティ真夏のホラー特集
ヤフーは真夏のミステリー特集
そのほかDMMでも十三夜シリーズなどが有料だけれども提供されている。個人的にはヤフーで怪奇大作戦全シリーズが公開されているのが気になる。有名な「京都、買います」も見ておこう。
…でもやはり心霊写真よりもホラー映画よりも怖いのは桜金造の顔である。

■かわいい軸
 さて、心霊写真/映画続きで食傷気味なので、そろそろ「かわいい」発表の軸を考えはじめる。このブログの自己情報をまずはまとめて組んでみる。かわいいの言説をさらに集積しつつ、これまで扱っていなかったミニアチュールの言説を少し渉猟してみる。
 なつかしいについては、次の本。作業を続行。

Postmodernism, Or, the Cultural Logic of Late Capitalism (Post-Contemporary Interventions Series)

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