振り返れば奴がいる表現

バベッジの晩餐会
チャールズ・バベッジについて調べている。
写真発明当時のイギリスの発明狂の紳士たちの集まる結節点におり、自動機械人形と織ることとレースと写真とインデックス的怖さとデジタル問題が一気に集約して語ることができそうなバベッジ。ひとまず伝記はこれがある。
バベッジのコンピュータ (ちくまプリマーブックス)
ほんとはバベッ「ト」なのだがいつもバベッジと言ってしまうのはそうしたわけがある。

■プリクラの現在性
相変わらず喫茶店でレポートを読んでいる。むひょキャラ*1、アラビアンロックという店*2、半透明性の怖さなどなど、かわいい系の議論がでてくる。
先日書いたプリクラについて、学生がこんな言葉を書いている。

ここでプリクラの中に見るものは、現在の交友関係であり、過去の出来事でも思い出でもない。…〔中略〕…交友関係がなくなれば、プリクラの中に見るものは「過去」となる。そのプリクラには場所性などといった明確に記憶を辿り起こす要素がない。そのためにプリクラの中に残る「過去」は交友関係だけなのである。プリクラをアルバムのように並べて貼っても、アルバムが記憶を呼び起こすのとは違い、プリクラは記憶による関連性は薄いものである。だから、プリクラを貼ったアルバムは記憶のコラージュとはならずに、交友関係の証としかなりえないのだろう。、、

…そうなのか。ちょっとせつなくなる。プリクラは現在形であり、交友関係の持続がなくなれば、現在とも記憶とも隔絶されたものになる。記憶を失った行方不明のイメージ。
 シールがつねにどこかに触れ、こすれることで通常の写真よりも劣化をまぬがれないという点では、プリクラ写真は「摩滅」させられるものである。ただし摩滅は、――色褪せた写真が夕焼け色に輝くような――なつかしさを喚起せしめるような特性とはならないのではないか。それは更新されて現在形のものと差し替えをすぐにできるような現在形に係留された写真なのではないかとも思う。

■心霊写真/映画――静止/運動2

承前。
では霊表現の基本文法にはどのようなものがあるのか。列挙してみよう。
空間設定:見えない空間、隙間の余地。
 心霊映画では霊の出現する空間の設定が重要になる。闇に沈んだ空間、壁にふさがれた空間というオフスクリーン的な要素が重要になるし、それに応じてカメラの位置や動きも見えない部分をキープする選択が時に必要になる。襖や障子や壁や半開きのドアが視野をふさぐ。あるいは、天井の高い吹き抜けの空間と天井の低い遮蔽物の多い空間、どちらも見えない部分が多いという点では共通している。逆に、画面内のあちこちに隙間が残っていることも、霊の出てくるための対照的な空間構築の方法である。
振り向きつなぎ
 ある人物の背後に霊の姿があり、振り向くとその霊が消失しているという表現がさまざまな映画では用いられている。『女優霊』では撮影所の廊下、ロケバスの窓に映る霊の姿、その映像のぼけかたや遠さやセンターからの外れ方も怖さの見事な表現だが、その前後のショットに振り向きや視点つなぎの表現がある。あるいは未放映フィルムの女優の背後に現われる霊の姿も、前後して霊のないショットと霊のあるショットがラッシュを見る人びとの視点でつながれている。おそらく心霊映画の基本のひとつはこうしたつなぎ間違い的なジャンプにある。
カメラの振り向き:あるいはそのバリエーションとして。
 同じように、編集せずにパンして戻すだけのカメラの動きによって、何もいないはずのところにある、あるはずのものがないという表現も可能である。これもある/ないの表現のひとつである。もちろんこういう方法を使いながら、ないものがないというすかしのテクニックもある。もたせるだけもたせてないものがない。
入れ子装置としての鏡
 これも空間設定の一要素。鏡は必須の要素である。振り向き表現もこれにかけあわされることが多い。鏡を見て霊は映るが、後方を振り向くといない、鏡を背にして霊は映っているが本人は気づかない。これを組み合わせることもできる。鏡を背にしている人の背後で霊が映っている、その手前で人物と霊を見ている別の人物がおり、、、という表現。
 鏡は映画や写真とは違い、現にあるものが映ってあるという現在時制の表象であり、それが失効することで心霊表象の怖さは増大する。かつて現実にあったものを現在進展するものとして示す映画のなかで、現在の蝶番が外される、それが鏡の役割。
 鏡と同型の窓や部屋と部屋をつなぐ壁に空いた矩形の穴、これも鏡に並ぶことで、画面中に穿たれた見えない部分と見える部分を複雑に作り出す要素になる。鏡は入れ子装置のひとつだが、後の写真やビデオ、映画内映画、パソコン画面と比較してみなければならない。

残りはまた。入れ子問題は明日の日付のほうに移動します。
どうにも長くなってしまう。タイトルの出所はフジの90年代のドラマ(参照

*1:無表情キャラのこと。例として、リラックマたれぱんだこげぱんハローキティがいる。

*2:この店では主人とメイド、執事とお嬢様ではなく、文字通り王様やお姫様になれるのだそうだ