つまり報告1――懐かしさに憑かれること――

■妻有トリエンナーレ報告
 3日間上記のトリエンナーレに行ってきました。ノスタルジーの問題、ローカリィティの問題、ヴァナキュラー写真の問題、、、等々、いろいろと考えさせられた三日間でした。絶妙に楽しい旅を夏の終わりに満喫することができました。アシストしてくれたあちこちの大学の院生のみなさんおつかれさまでした。
 というわけで、ブログやっている院生がほとんどだったので、おそらく写真入りで情報は逐次あがってくると思います。トリエンナーレ情報については私はゆっくりと挙げていきます。

 個別の作品の話ではなく、全体について大まかに話をまとめれば、、、
 過疎化した田舎にアーチストたちを導入し、その田園や民家や廃校、その場自体を作品となしたり、その場に作品を設置したりする。あるいは、安価ななつかしさやかわいさやエロさがあふれている田舎の町の商店街にもそうした作品が散らされていく。作家たちは時として、「純粋」で「素朴」で「自然」にあふれた――私たちにとっては――なつかしい現地のものを素材にして、それを記号として変換してもうひとつの別のなつかしいの現在形をつくりだしもすれば、商店街の何気ない空所にそうした倍加されたなつかしい記号をはめこんでいく。
商店街の閉ざされたシャッターの向こうに別の空間が作り出され、公園や用途の不明な空き地にそれこそ用途が不明の階段が出没し、田園に謎の扉や倉庫が居並び、誰もいなくなった小学校の校舎ではその不在を散らして、学校の怪談よろしく異界を作り出していく。あちこちを浮遊するなつかしさの霊、それを3日間効率よく経巡ってその旅自体が即座になつかしくなり、京都に帰り着いてタワーの灯りを見て「いたなつかしい」感じをさらに感じ、そのなつかしさがすぐに現在形へと戻ってくる、そしてその終わりの後にさまざまななつかしいの破片を何度も手にとり見返してみることになりそうな気が生じてくる、そんな旅だった。

学校の怪談的空間
 今回の目的のひとつは廃校となった小学校の空間だった。
 ひとつには以前心霊写真レクチャーをした際に受けた質問――学校の怪談はどうですか的問い――のことが思い出されたことがあり、もうひとつ、心霊映画として学校の怪談ものを多数見たこともある。グリッド状に均等に分割された空間とか、公共的空間の昼の過剰と夜の不在とか、この種の空間のなかでの廊下の異常な長さとか、それだけでは学校(の怪談)的怖さの説明には不充分だろう。ならば現地で、下手にお洒落に改装されていない、老朽化していきつつある学校を見てみる。しかもそこには芸術祭ゆえに学校的なものとかけあわされた異物もある。好都合なことこのうえない。
 人が次々といなくなった末に廃校になった空間、当たり前のことだけれども、その視点の低さが目につく。椅子や机ばかりでなく、手洗い場、標語のポスター、教壇、軒、そうしたものがことごとく低く、ひとびとはその空間に合わせて自らのすでに大きくなってしまったむくつけき身体を不恰好に屈めたり縮めたりしながら、なつかしい志向に入っていく。地域の差異はあるが、どこでもだれでも均質に感じられる空間的要素に反応し、しかし他のだれでもなく自分の過去へのなつかしさをフラッシュバックさせ、身を折り曲げる。自分の幼年期の終わりと学校自体の終わりを重ね合わせて、もはやどこにも誰もいない、ただその痕跡だけ、しかもどこのだれとも知らない人たちの痕跡の寄せ集めを次々と目にする。図書室にある手ズレしたシートン動物記、教室の傍らにあった剥げた地球儀、摩滅した立体地図、教室の後方にあるネジの外れた鞄掛け、狭すぎる靴箱、理科室の大量のビーカー、、、これを用いた作品もいくつかあった*1
 
 そして鏡の散在、学校には怖ろしいほどの数の鏡がある。階段、廊下、手洗い場、そこでは時としてバックミラーやサイドミラーのように死角を見るためではなく、ただ真正面から自分自身の姿を捉えるためだけの、視線を内に折り返すだけの鏡が、曲がり、昇降する傍らの壁面に設置されている。採光のためかもしれないが、それほどまでに必要はない数の鏡の過剰。鏡に関してはいくつか作品があったが、部屋全体を万華鏡のように散らしたものが最も視覚的には優れていた。
   
 他にもいくつも学校の怪談的なものはある。階段とかオフフレーム空間の多さとか。
それはまた明日。

*1:ちなみにボルタンスキーは上記の痕跡と黒塗りガラス=鏡、闇と光の明滅とプロジェクションと布を使いながら、学校の空間を学校の怪談的お化け屋敷に変容させていて興味深かったが、学校の怪談的な怖さから考えれば、やはり大人が身体をのばした仁王立ちになったなつかしいこわさなのだという感想をもった