ノスタル爺と鏡

■ノスタル爺とぬいぐるみの口
まだやっているのかとつっこまれそうだが、レポート採点ひとしきり。
ノスタルジーを扱った作品や動向を論じたものが目立つ。その結論はさておき、ノスタルジーを考えるうえでマンガ各種も参照対象になるのかもしれない。藤子・F・不二雄「ノスタル爺」、浦沢『20世紀少年』、クレヨンしんちゃんの大人帝国。
箱船はいっぱい: 藤子・F・不二雄[異色短編集]  3 (3) (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉) 20世紀少年―本格科学冒険漫画 (21) (ビッグコミックス)映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]

 ノスタル爺はこんな話。出兵した30年後に故郷に戻った主人公は、そこで幼馴染であった妻の死と村の消滅を同時に知る。そのとき、なぜか彼は子ども時代にとある土蔵に暮らしていた老人の存在がふと気にかかり、土蔵のもとへ向かう。駆けているうちに彼は時間を飛び越え、かつての村に戻っていく。はたして幼き日の妻と自分の姿がそこにはあった。つまり、先の土蔵の老人とは他ならぬ自分であり、土蔵の中にとどまることを条件に彼は失われたものを現在形で享受することができるようになる。隔てられ、事の次第はすでに完結したはずのものの反復を括弧つきの現在形でただ眺める。それがノスタル爺。よくまとまったノスタルジー話。
 これに対してクレヨンしんちゃんは昭和ノスタルジーにとりつかれた世界と戦う物語のようである。読みかけの『20世紀…』もノスタルジーに閉ざされた世界が主題となる筋である。
 ノスタルジーに憑かれた世界に対して現在や未来を外部に置いて批判することは簡単である。事実レポートはそんな結論が多かった。しかし、現在の、身体の足元から数秒ごとにノスタルジアの記号が生まれていく時間と空間の論理をもうすこし穿たないと、このループを批判しえたことにはならないような気がする。

 かわいいに関しても本数は多かった。場所は省略されているのにグロテスクに血が垂れているグルーミーの口、奥歯まで見えてしまうトトロの口、そしてよく議論されるミッフィーやキティの口。もっと展開してみることができそうな気がする。
CHAX CLIPS~feat.GLOOMY & KUMAKIKAI~(低価格化再発売) [DVD] ミッフィーとおともだち(1) ミッフィーのおたんじょうび [DVD] となりのトトロ (徳間アニメ絵本)

ついでにノスタルジア映画を論じるジェイムソンの話を、、、と思ったがそれは日を改めて。

■つまり報告2――窓を鏡でうける――
 鏡を用いると同時に、北国の家屋の構造の特徴を取り込んだ作品がある。
  
 左が通常の家屋(キナーレ近辺のありふれた人家)
 中がそれを基にした鏡/窓作品。
 右が壁面をはいずりまわる子どもたち。
降雪のため数多く巣穴のように空けられた窓、その左右にとりつけられた細長い板を掛けるための金具、雪かき用の梯子、一階部分の堅固さ等など、この垂直面の特徴が、水平面に置きなおされ、45度の傾斜をなした巨大な鏡に反射屈折させられて、観客へと送り届けられる。タイミングよくお子様たちが群れ集まり、さながら過剰な『呪怨』くんたちの群れ集まる館と化した作品であった。たしかに白昼に壁面を駆けずりまわる浮遊する子どもの霊と見えなくもない。…よく見ると一体ベランダに寝たまま浮遊している。
 鏡と言えば、ひげプロジェクトも鏡と写真と窓の組み合わせを用いた展示だった。
  
 矩形の穴多数の壁面に囲まれたブースで、理髪店の体裁をした空間で鏡をみながら髭をそって髭を装着して自らを髭装着者のアーカイヴに挿入する試みだと思う。鏡、矩形の窓、写真、髭をそるという私的行為。

 というわけで階段の話は明日以降。