ゾンビとループ

■物の怪スペシャ
月食待ちながらホラー1本。されど肝心の月はどっちにでている状態。

学校の怪談 物の怪(もののけ)スペシャル [VHS]

学校の怪談 物の怪(もののけ)スペシャル [VHS]

これは翌日の欄で。

■写真史という遺伝子工学 補遺
補足しておけば、バッチェンの論の面白さはもうひとつ別のところにもある。
 彼の議論は、実はある美術館で開催された写真史を概観的展覧会を話の出発点にしている。それは、初期写真から現在の写真にいたるまでを展示した、よくある年代記的展示の仕方にすぎない。しかし、彼は開始点と終結点の奇妙な一致に着目する。1850年のアトキンスによる植物のサイアノタイプ写真(コンタクトプリント)で始まり、バーバラ・カステンの同種のサイアノタイプ写真で同展はしめくくられる。まるで写真史が一周して元に戻ったかのような印象すら与える。自らを反復し、自らに折り返す、回帰やループの軌跡。そこにはただ、デジタル写真だけが排除されている。この円環にデジタル写真を挿入して考えてみよう、それがバッチェンの議論である。
 デジタル写真について語った後、彼はアトキンスの写真に立ち戻る。他のアトキンスの写真と同様、ここで例とされる写真も、青い地に直接置かれて露光された植物標本写真であり、水中でゆらめく藻と見分けがつかないようなイメージになっている。アトキンスは実は植物学者である父親ともども、写真発明者のひとりトルボットと緊密な関係を有していた。トルボットが植物の葉や花のコンタクトプリントを最初期の撮影主題にしたこともよく知られている。
 アトキンスのサイアノタイプにおいては同じ植物標本が十数回コピー=撮影された。そのページ中央への配置も含めての版相互の不変性、それは典型となる例を元に同一の基本的な視覚的情報を生み出すための工夫であった。共通のマスターコードに由来するほとんど変わらない視覚的な情報、それが複製されて散種されること。この意味でアトキンスの撮影作業は、データとしてのイメージへの変換作業に等しかったことになる。そこではどの版がオリジナルかという問題はまったく重要ではない。もちろんここには、同一で異なるものという議論も挿入される。
 こうして見ると、先の展覧会で概観された写真史の始まりと終わりにおいて一周した観のある軌道は実は、反復や複製によって特徴づけられる写真の原理をなぞっているのであり、なおかつそれがクローンとしての写真であるがゆえに、ある一連のもろもろの差異のなかでずれたループを描くのだということを示してしまっているのである。
 写真を差異における反復として描くとともに、デジタル写真をそうした遺伝子とみなし、写真史自体をも――技術の進展という直線ではなく――不気味なループとして描く。これがバッチェンの戦略になっている。
 トルボットの植物写真の話は、さらにデジタル技術の起源へと向かっていき、以前少しだけ書いたように、レースなどの織物の話にまで進んでいく。これはまた。写真と植物とレースとコンピュータ、それが一挙に収斂する。続きはまた。

■コミュニケーションの現在
『インターコミュニケーション』10月号
これは買い。