撮ること織ること指折ること

■霊の歩み
 『学校の怪談 物の怪スペシャル』を見た。とはいえ四本目「花子さん」(黒沢清)のみ。いつものようにロングにすっと切り替わるが、パンでキープして見せるというよりもめまぐるしくパンしまくって早めのカットが多い。カーテン、影、風、遠目のロングの霊、消失といういつもの要素。
 学校の怪談ものは、廃校寸前、校舎解体前のシチュエーションが頻繁にある。学校の終わりが、終わり以後のものを呼び出し、それが跋扈する、これがひとつの構造になる。これは黒沢特有なのか。『学校の怪談f』でも「廃校綺談」はそうした構成をとっていた。

 問題は霊の歩き方。ともかく霊を歩かせるのには苦労する。霊は被害者に近づいてきた後にクロースアップで顔を見せる段取りを踏む。心霊映画の基本形はこれを頂点とし、その他の前後する霊の諸々の小出現は配置される。そこは霊をたたずませておけばよい。
 では肝心のクライマックスの顔出しシーン、霊が被害者へたどり着くまでの経路をどう構築するか、これが難しい。人間的なものを極力排除し、機械的な動きをつける必要がある。まず這うか歩くかの選択がある。後者の歩く方法は数種類ある。『ほんとにあった』第二夜や『回路』の開かずの間での赤いドレスの女性の表現主義的な正面からの接近、「花子さん」のような能役者のようにこわばった運び、、『降霊』の大杉漣に憑く霊のように滑るような動き、ぎこちない接近手法は難しい。もちろん黒沢の作品はこうした文法を逆手にとっているところがある。怖くないがゆえの怖さがここにはあるような気がする。…あるいは同じく『降霊』でのジャンプカットのように、意識や記憶が飛ぶように接近させるのもひとつの方法のようである。そういえば中川『四谷怪談』でも知らぬうちに霊が近づいている。
 たぶん階段が霊の登場場所として選ばれ、上から降りてくることが多いのも、その動きを小刻みに分割して、機械化することに関係している。デュシャンやリヒターやマイブリッジを思い描くひとも多いかもしれない。すべて霊の歩み系問題に含まれる。
 霊の歩み表現のなかで面白いのは、以前書いた入れ子式の表現かもしれない。映画内での監視ビデオの粗い画面、映画内映画の編集場面でのぎこちなく前後するフィルム、そうしたメディアの使用が霊の動きを上手く非人間化している。以上メモ。


■織機/写真機/計算機
 デジタル写真の進展、あるいはコンピュータ技術の写真史への影響の懸念、そうした現在の言説はよく耳にされる。「しかしもし(写真とコンピュータという)二つのテクノロジーが共通した歴史と相互比較可能な論理をもっていたとすればどうだろうか?」。あるいは「写真が着想されるに至った文化的、社会的な条件がコンピュータによる計算が由来する条件と同じようなものだとしたらどうなのだろうか?」。
 こう問うことでバッチェンは議論を始める。

 事実、両者の年代記的な関係は容易にあとづけることができる。コンピュータ史のなかでそのパイオニアのひとりとして知られるバベッジは、トルボットやハーシェル、アラゴーらとも知己であり、写真の発明やその宣伝にも関係をもっていた。トルボットはその写真についての論文や写真自体をバベッジに送り、バベッジは会合の際にわざわざトルボットの写真を展示している。写真機と計算機の並ぶ風景、それは当時それほど異様なことではなかった。ちなみにバベッジはステレオスコープの最初の肖像写真となったひとのひとりでもある。逆にバベッジは階差エンジンや解析エンジンの開発のためにトルボットに意見を求めてもいるようである(バベッジの階差エンジンと解析エンジンについてはこのページが詳しい)。
 先に挙げたバベッジ宛の写真(フォトジェニック・ドローイング)の裏には「自らを表象するレイコック・アビイ」という記入がある。論文では「自らの像を描き出さしめさせる」写真について言及されていたことを考えれば、この書き込みが写真のコンセプトにとって重要な側面であったことが分かる。つまり写真は自然なのか文化なのか(現実なのか再現表象なのか)、そうした同一性や起源の問題である。
 興味深いことに、バベッジが同時期に探求していた問題も、これに類した問題だったようなのである。神による創造説を採るか、進化論的な見解を採るかという対立する説、この両者を調停する彼の議論、その基礎として据えられていたのがあの階差エンジンであった。つまり、バベッジは、
「自然(だから神)が自らを数学的な方程式の形式で表象することを可能にするような文化的制作物をコンピューターと見なしていたのである」。
 また、トルボットはバベッジにレースの写真も送っていたようである。織機がモデルとなったとも言われる計算機、そして織機の仕組みと類比的な写真機、これがどのように結びつくのか。
これは長くなるので翌日へ。