おることから指へ

■きもかわ
ようやく出たきもかわもの。
たらこ・たらこ・たらこ たっぷりたらこボックス(初回限定盤)

■織ること撮ること指折ること
つづき。

 トルボットはその写真実験の被写体に頻繁にレースを選んでいた。複雑な細部をそなえた対象を精緻に正確にコピーする写真の可能性、それを示すためであった。しかしここには「表象と現実(文化と自然)の奇妙な内破」が示されているのだとバッチェンは言う。トルボットがバベッジに送った論文のなかでの有名な話――友人たちにレースの写真を「素晴らしい表象」として見せたところが、彼らは「像ではなくレースそのもの」ではないかと反応した――を見れば、こうした表象するものとされるものとの関係が斜めに跨がれていることが分かる。

 あるいは、トルボットが行ったことは、レース写真に見られるように、「世界を二項対立、つまり光の存在と不在の秩序だった模様」にすることだったとも言うことができる。彼にとってはレースの写真が重要なのではない、小さな単位の規則的な反復、模様の写真が重要なのであった。

 計算ということで言えば、トルボットがハーシェルに送ったレース写真が興味深い。百倍に拡大した写真によって彼は世界=像をピクセル化しているのである。また同時期に撮影されたレイコック・アビイの格子窓写真をレンズで拡大して、格子窓の数を計算することが可能になる、そのように彼は述べる。写真による世界の計算の能力、それがレース写真、格子窓写真によって示されていたことだった。

 さらに、もうひとつの経路を考えることもできる。ある研究によれば、トルボットのレース写真の背後には、機械によるレース産業があるという。1830年代後半、レースの織機のためにジャッカード・カード(パンチ・カード)が導入され、複雑で精緻なレース織が可能になった。その仕組みによって例えばひとの肖像を模様にした複雑な構造のレースも生産可能になり、それはリトグラフなどと遜色がなかったのだそうだ。

 バベッジの側から言えば、そのコンピュータに関する思考は、織機の発展とも結びついていた。諸研究によれば、パンチカードによりプログラムを与えられた織機は、人の単純作業のみしか必要としない計算機と密接に関わりあっていたのだという。事実、解析エンジンにはジャッカードのカードシステムが導入されている。もちろんこうしたバベッジの試みは、一昨日述べた自然と文化の対立の調停として、神の創造の営為を計算によって明らかにすることが目的となっていた。

 デジタル写真の時代とか、デジタル化によって写真はとかという議論がしばしば忘却しているのは、実は写真が銀の粒子の光への反応/未反応にもとづく構造をもった像であったのであり、しかもそうした構造をもつ画像が計算機と結びつきながら、なおかつ織物というテクストの生産プロセスと緊密な関係をもっていたということである。しかもそれが当時分解しつつあった自然哲学の諸領野となり、相互に照らしあいながら、文化的/自然的地殻変動を引き起こしていたということも重要である。
 これがバッチェンのこの論文の議論の概要。

 ところで、デジタルとはそもそも指を意味する言葉だという。織る指、数える指、撮る指、そうした指のつながりがこうした照らし返しのなかで深い凝りをほぐす指圧の指のように、どのようにデジタルにまつわる凝りをほぐしてくれるのだろうか。

これはまた明日以降。