手を切る手つき
■電話うた
電話の散漫かつ没入した経験は、目の前の現実を低速度に見せる。その結果が2時間35分ということ。白々と表示される通話時間。
同じような例にスガシカオの「38分15秒」がある。
ケータイでは通話は秒数まで表示されるということ。このディープな時間性については、山田登世子の『声の銀河系』に詳しい。
■手を切ること
ひきつづき。
ブール・コレクションのシュルレアリスムの手写真はまた要約するとして、
20世紀初頭からの切断された手の表象史を少し追いかけてみてもいいかと思いはじめる。
ヴィーネHands of Orlac。ピアニストが手を切断され、殺人者の手とすげかえられて…という設定。カール・フロイントが1930年に、Grevilleが61年に別バージョンを製作している。StrockのCrawling Hand(1963),Oliver StoneのHand(1981),そしてアダムス・ファミリーやシザーハンズ(1990)へと連なる流れ。
そう言えば『ジョジョの奇妙な冒険』第四部の吉良という手以外は欲望せず、手を切断することで追っ手から逃げおおせた殺人鬼もこういう系譜のなかにある。
なぜ手にこだわるかというと、写真といい映画といい、手を切断する表象に映像そのものの根幹にかかわる手つきが現われているように思えてならないから。心霊写真の手の表象もしかり、心霊映画の手もしかり。