■photo in film
 以前紹介した『フィルムとスクリーンのあいだに』を読む。
 映画の中で用いられる写真の用法はあまり言及されることがない。映画を論じるひとは物語のための道具立てとして軽く言及するだけで、他方で写真を論ずるひとは、それが映画であるからあまり関心をもたないような気がする。写真を映画にとりつかせる、そんな作業も写真論には必要なように思っている。
 この本は、映画の基層にある写真の、映画の物語的流れの中で突如の介入や垂直の切込み、言説のなかで抑圧された不気味な写真の次元を、映画に出てくる写真をなめるフォトパンと突如現在形の進行が停止させられるフリーズフレームを例に議論する書のようである。レトリカルで少々読みにくいが、映画内写真やフリーズフレームのさまざまな用法が列挙されていてこの問題の参照資料とすることができそう。

■書くことと写真――もの写真5――
 オトコのこだわりグッズ編ひきつづき。今度はこだわり筆記用具である。
  
…太い。素人目に見ても、握ることすらままならない、隠し撮りもままならない、そんな瑣末なことは問題ではない。そんな握力勝負の男のペンカメラ。
 左がスティロフォト(1958年、セカム社、フランス)、真ん中がペンレット(シャープペンシル、1953年、日本製)、右はフォトフラールクザスという名称らしい。蛇革豪華万年筆。画像を見て分かるように、ライターや化粧品の微妙な眼差しの曲折とは程遠い太さ。無用の手に負えなさが男のカメラだということか。
 写真論として見れば、書くことと光で描くことが一体となった装置というのは、論じがいのある対象であるはず。しかし両者がいざ出会ってみれば書くことも撮ることもままならない。みもふたもないペンカメラ。造っている最中にたぶん誰かがそのままならなさを口にしようとしたはず。しかし男の野太さがそれをおしころしたのかもしれない。
 ちなみに現在では技術的にほぼペンにしか見えないスパイカメラも製造されている。