手と球

書類作り。
それも終わって今編集中の辞書会議で精華大。
風邪をひいているひとがとにかく多い。気をつけるべし。

■無数の手の話
 『写真の怪』を読んでいると、ある年代に写真をめぐる決定的な怪異譚が広まっていることがわかる。比較的現在に近いものとして、海面から出る無数の手というのがある。これは、たまたま海岸で何枚もスナップを撮影していると当の被写体が崖から飛び込み死をとげ、それを後から現像すると海面から無数の手が伸びていたというもの。よくできたイメージ化しやすい話。
 これが1990年前後に広まった話だそうだ。『心霊写真は語る』の戸塚「口承文化のなかの心霊写真」によれば、これは写真としては存在しないものについて伝えられた話であり、写真自体が「ない」ことによって怖さが拡がり、写真というもののイメージを契機にして話が拡がる。テクストとイメージの関係の別の相、あるいは90年前後の心霊メディアの推移がここからも見てとることができる。そして戸塚氏も言うように、手はなぜか想像力をかきたててしまう、これも実に(心霊)写真的な問題である。


■ボールをなげあげること

ラルティーグの写真の中にはボールを中空に放り上げた写真が何枚もある。それはおそらく露光速度ゆえに球が止まっている様をとらえたものなのではあるが、ところが面白いのは、そうではなくて球を投げ、球を待ち受けているひとびとの静止状態である。最初に挙げたものはステレオ写真。次の写真も同様ボール待ち女性写真。そして最後は不細工なボール飛びつき猫写真。人も動物も動く球を待ちうけるがゆえに口をあけ目線も固定されたまま体が不気味に凝固していく。