自転車・ブルーマー・ハンドカメラ


あげそこなったので次の日に。

■自転車とブルーマーとカメラ
 『シアンとスピリット』(ISBN:3923922043)を引き続き読む。
 1880年代に湿板から乾板への技術的転換が生じた際、カメラ狂の非道徳的な撮影行為が数多くのメディアで非難の対象になっていた。もちろん湿板法の時代にも性的刺激のみを求める写真を嗜好したり、市民の尊厳を損なうような写真を撮影したりするもぐりの写真師や、感光板の準備に必要な薬品をいたるところに撒き散らしてしまったりするアマチュア写真家への非難はすでにあった。
 しかし、80年代をすぎると非難の方向や規模が変わってくる。アマチュア写真家が、以前は裕福で教養ある技術的エリートであったのに対し、これとは別種のスナップ素人写真家が登場し、その隠し撮り行為がひたすら問題化された。
 乾板が可能にしたのは、暗室や化学薬品がその場で不要になったこと、撮影が目立たなくなったこと、露光時間の短さゆえ被写体を任意に選ぶことが出来ること、したがって隠し撮りが横行したこと、こうしたことである。カメラクラブは団結し、リゾート地では自警団までが編成され、法的な処罰が訴えられ、著名人の恥ずかしい写真が雑誌をにぎわせる。
 この話を読んでいて面白かったのは、第一にアマチュア写真家への非難の言葉である。ホテルでも観光地でも家々でも、同じ空間で彼らとともに暮らすのは苦痛であるという物言いがとうとうと語られる。
 宿泊や入場や入村も制限され、犯罪者に与えることのできる最も重い罪はアマチュア写真家と暮らすことだと言われる。刑罰はカメラオブスクラのなかにせよとかという厳しい言葉もある。何もそこまでもと思うが、動的な匿名の視線の力学に巻き込まれた都市住民の不安な様子がこうした言葉から読み出される。

 第二に、隠し撮り行為が海辺のリゾート地でしばしば起きたことである。水に飛び込み、波に飲み込まれ、あられもない姿になった海水浴客がスナップシューターの格好の標的になったということ。ギクシャク論につながる。

 第三に、アマチュア写真家には女性も同じくらいの数含まれていたこと。例えば1891年にアメリカを訪問したギリシャの皇太子を追いかけて150人の女性が手にカメラをもって追いかけたという。度重なるクレームにもかかわらず、その追っかけの執拗さは相当なものだったという。下の図版の左は、男性自転車選手をコース脇で待ち構えている女性「注意。この丘危険」の語が見える。右の図は今にも水面に落ちそうな男性を「運動の研究」と称して三人のカメラクラブの女性たちが無表情に狙っている。
 しかも、女性たちはしばしば厳格な規則にしばられた家をつかのま離れ、自転車を駆り、郊外に赴いては、こうした撮影の集まりを催していた。そのときの衣服は当然サイクリング服、あるいはブルーマー女史の考案したものに近いデザインの衣服を着用していたという。
 シャッター&ラブではなく、シャッターへの愛着(ラブ)が斜めに社会空間に切り込みを入れていたという例。そういう意味で事例は集めてみる必要がある。

ドクター・ノオ・カメラ

言葉はいらない。007アルティメットコレクション
このうち
007 ドクター・ノオ アルティメット・エディション [DVD]
にはミノックスが登場するようである。60年代のスパイものフィクションの流行。その装備品への関心の高まり。60年代のガジェットやノベルティとしての偽装カメラやスパイカメラ市場の拡大には、こうした文脈がある。その後簡便なフィルムカートリッジのシステムによってさまざまな偽装カメラの多様化が生じ、最終的には1980年代のデジタルカメラ技術の開発によって、今度はこれまでの手遊びではない偽装カメラの用法が甦ってくる。それが90年代以降の話。
 話を戻せば、スパイカメラの流行とは、東西冷戦期の対立という現実と映画やドラマなどのフィクション両面での背景をもち、前者のリアリティがそのロマンを支えていたのだということ。とにかく挿話は、極小のマイクロフィルムを手紙の文面の文章(ピリオド大の小ささ)に貼り付けて送るとか、敵に見つかった時に踏み潰せるように華奢な本体にした極小カメラとか、背後で007が鳴り響くような話に溢れている。
 偽装カメラ通史ほぼ完了。