ものカメラ9

夜の大学は静かであった。雑用して消灯前帰京。

■幸せの色
Les Autochromes Lumiereという本を引っ張り出す。
あの『工場の出口』の工場のカラー写真技術で撮影されたリュミエール家のコレクション。

リュミエール写真論というのもできるかもしれない。幸福なカラー写真たちが並んでいる。

■ものカメラ9――撃つこと、回ること、装填すること――
 原稿書き、その素材のひとつ。
 スパイカメラというか偽装カメラのなかで最も古典的なものは銃カメラである。
 ご存知のように銃もカメラもshootする。動いているものに照準を合わせ、引き鉄を引いて、その動きを一瞬にして止め、そうして手に入った獲物をコレクションする。
   

 撃つことよりも撮ることのほうが楽しいと断言するダグモア(左)。撮ってる間があれば撃ってはどうかという一品。そしていわずと知れたマレイ写真銃(右)。もちろんそれは観察に必要な望遠レンズという条件下で動く対象を捉えるための比較的ブレの少ない形状を選択した結果ではある。
 19世紀半ばから銃型をしたカメラは多い。マレイのカメラに男のカメラ魂がくすぐられるのは、照準を合わせること、撃つこと以外にも、銃倉の回転という特性が大きい。シャキンシャキンと感光板やフィルムが送られていくこと、それも銃カメラの醍醐味なのだろう。
 左は1883年製作のフランスのフォト・リヴォルヴァー、実際に銃の部品が使用された一品。右は1950年代製作の日本製マミヤ・ピストル・カメラ。後者は特に警察での射撃訓練に使用されたそうである。標的を無事捕獲したか、それが銃カメラの用途になることもある。
   
さらに男のカメラ魂を燃え立たせるであろう特性は、カートリッジの装填である。

 これはドリュー・カメラ(日本製、1950年代)。銃身についたレンズは付け替え可能。それよりも、柄の部分に装填するカートリッジに特色がある。フラッシュを焚くためのマグネシウムと発火剤が銃弾型ケースに装填されており、そのマグネシウム弾6発が入ったカートリッジを手で下から押し入れる。よく見ると柄を握る手には赤いマニキュア。さしずめ女スパイものという卑近なイマジネーションがここには実に直裁に働いている。
 いつも付け加えるが、戦後の偽装カメラのほとんどは、その実用性よりも――たぶんこうしたカメラは、「敵」もいなければ「極秘任務」も存在しない購入者の日常的愛好物である――、ある種の「もの」としての手触り、音、作動感、現実の文脈を背景としたなりきりスパイ感に支えられたガジェットにすぎない。しかし、その物の意味作用が、写真行為の深層を案外あからさまにしてくれるのかもしれない。
 もちろんそのマスキュリンな意味合いも含めて。