ましかく6体
■ましかく写真
ホルガ赤本を買う。
資料としてカメラをデコる事例がいくつも出てくる。例えば、各章の頭にはさまざまな装いのホルガが登場する。
左から着物ホルガ、デコホルガ、金メッキホルガ、ペイントホルガ、そしてホルガくんなるキャラクター。もはや移行対象化しているホルガであるが、ホルガくんと似て非なる19世紀のカメラ人間も並べておきたい。後者が機械の目の視線への違和感のあらわれであるなら、前者はかわいい遍在する自分を映し返すまなざしのあらわれのような気がする。
もうひとつこれも立ち読みする。
…自らを女子と指す。そのストレートさが人類学的対象になる。
■拷問と撮影
いかにも居心地悪そうに身をよじらせて不服そうな面持ちで上目遣いにこちらを睨む少年。左右には次々と指示する手。不機嫌はなおりそうにない。
この図版は、以前も紹介したビル・ジェイ『シアンとスピリット』のヘッドレストについてのエッセイに掲載されている。
初期の肖像写真の撮影が被写体にとっては拷問の執行と同じくらい身体的苦痛をともなったということはよく言われることである。頬に白粉を塗り、髪にも粉をふり、頭を板のあいだに挟みこんでねじを締めて固定する工程が身体的苦痛の著しいものだったことは明らかである。そんななか、いくつかの挿話が残っている。
被写体を不動のままに保つために、リヴォルヴァー銃を被写体に向け、「ぴくりとでも動いたら頭をぶっ飛ばすぞ」とすごむ写真師の挿話はまことしやかに繰りかえされてもいる――写真と銃の関係――。
あるいは、「痛みなくさまざまなスタイルの写真が撮れます」と宣伝する写真館では、歯医者と同じように、麻酔を使用し、被写体が意識を失っているあいだに撮影を行ったそうだ。昨日図版として挙げた拘束的椅子の諷刺画を考えれば、歯科医=写真館説というのもあながちはずれていない。さらには刑罰の代わりに写真を撮影する罰というのもあったそうだ。
この項、さらに続く。