1900年前後のくうねる写真


大学。研究者情報入力で居残り打ち込み作業。
涙で夜景も滲んできた、、、というのは嘘だがこんなことばかりが日常。


■セクーラ小論1
 ブクローのセクーラ論を先日の東京往きの際に読み終える。セクーラの写真の分かりにくさの訳が簡潔にまとめられている論である。時間もないので毎日少しずつ訳出紹介する。
 写真に関わる言説の領野と芸術的生産に関わる言説の領野、両者は各芸術家の世代ごとに、社会的な要請や法則にしたがって布置の転換をそのつど被っている。生産の方法はそのつどの歴史的時点においてそれぞれ異なる美的、イデオロギー的投入をされている。こうしたさまざまな文化的実践の交差を研究することは、その社会の視覚文化の歴史的位置を見定めることにもなる。
 このことは写真についての言説にとくによく当てはまるかもしれない。絵画を頂点に、写真を末端にすえていた伝統的な芸術ジャンルのヒエラルキーは、現在では変容し、芸術的諸ジャンルの派生と見なすことの出来る写真は、ヒエラルキーの頂点に置かれ、その反面でドキュメンタリー写真の遺産のような伝統は末端に依然として位置づけられたままなのである。
 こうした文脈、つまり写真というジャンルのなかで底辺と見なされている実践の典型的な事例が、セクーラによる写真の受容史である。新たに公認された芸術的写真の地位も脅かし、前衛の公的な正典も無視しているように見なされる彼の作品。
 事実、セクーラの芸術家としての実践は、モダニズムのなかで禁止されていたいくつかの主題や記号論的慣習をあらためて採用しているのである。ドキュメンタリー写真、歴史的な語り、そして何よりも、彼は次のような意味作用のモデルを採用している。つまり、自律的な言説的構造として機能するとともに、歴史的イデオロギー的諸要因に重層決定されている物理的構成物としても機能する記号の複合的な条件を認めるような、意味作用モデルである。セクーラ自身、1984年の著書の序文でこうした論点を明確に述べている。
(以下続く)


■くうねる系写真誌
お茶と写真の時間 (エイ文庫)
 技術系写真雑誌の対極にある写真雑誌が増えている。雑誌ではないがこれはお茶と写真を重ね合わせたもの。兆候はいくつかある、カメラは愛らしいペットのような友達であり、専門的な知識を備えたカメラマンを脱する脱カメラマンが目指され、撮りたいものを撮ればいいのだと私を全肯定する人生の応援歌的な言い回しが踊る、、、のだろう。とおすすめリストを見ながら思う。
 こういう傾向は、ただ肯定否定の立場というよりは、19−20の世紀転換期の同様の文脈との対比によって、見えてきそうな事柄が多いと思う。

ベンヤミン
4年ぶりくらいにベンヤミンの話をすることになったので、最近までのベンヤミン絡みの展覧会を調べている。まずはベンヤミンフェスのカタログであるこれ

そして没後50年を記念して行われた展覧会カタログにこれがある。
他にもパサージュ系展覧会もあったはず。
以前本で書いたように、こういう展覧会にはほとんど関心を見いだせなかった。
今回の展覧会はもしかすると違うかもしれないと期待してみる。少なくとも1900年前後のベルリン、そのイメージが多数入手できる可能性を期待する。