林檎


今日も神戸。六甲おろしに足が痺れる。

■林檎のモメハン

唄ひ手冥利~其の壱~

唄ひ手冥利~其の壱~

昨日話をしていて聞いたこと、木綿ハンのカヴァーがこれにあるとのこと。歌詞の設定するシチュエーションはもはや古めかしいものとなっている。この2人で歌い分けることがよいのか悪いのかも分からない――というのもあの太田の内省化された一人二役と、舌足らずの歌いまわしと都会/田舎という対立がこの曲の核であったのだから――。
 ただ女性ボーカル×2ということと、その声の肌理の違いということがオリジナルとは全然違うシチュエーションを醸しだしているのかもしれない。男が新宿駅東口で働いているのはたしかである。女性がねだるハンカチはたぶんシルク。いや、そもそも女同士か男同士かもしれない。

■ギクシャク引き続き
仕事の関係上、
美術手帖 2005年 12月号
を読む。ダンスという語にかかっている/かけようとしている重さと軽さの問題。岡崎の言うノイズの話は面白かった。再生と記録の速度がずれた結果生じたものがノイズであるということ。ただシステムや形式に入らないものを外部のノイズというだけでは話にならない。ビデオ技術もそのひとつ。ギクシャクした身体論もそうした技術やシステムの間の相互干渉する複数の時間性の編集という問題から考えないとならない。
 霊の歩みも同様。ただ非人間的だからではない。