余白

今日も神戸。吹雪の六甲おろし

■視覚メディア
昨日少し思い出したのでキットラー本を探す。
Unsterbliche: Nachrufe, Erinnerungen, Geistergespraeche Optische Medien
前者を注文。前者はここ最近様々なメディアに載せたものが集められた論集だそうだ。後者は1999年の講義録となっている。後半の写真、映画、テレビの項を一度ざっと目を通す。なんだ映像学のどこにでもある教科書じゃないかと思いきや、キットラー的組み立てが面白い本。
これも少しずつ紹介できれば、、、と思う。

■バッチェンのロケット写真論1
ここで紹介したForget Me Not(そのまとめは4月刊行の雑誌に出ます)、ヴァナキュラー・フォトグラフィーズ(本サイトの「マテリアル」参照)に加えて、エドワーズ&ハート『複数の写真、もの、歴史』においても、バッチェンはヴァナフォト論を書いている(Ere the substance fade)。部分的には前2論文と重複する記述も多いが、そこでは充分に展開されなかった理論的問題もこの論文では議論されている。例えば、いつものように写真史の枠組みそのものを改変するような対象としてのロケット写真が強調され、作者も意図も所有者についても曖昧なこのもの=写真について、ギャップを埋めつつそれをずらしていくような代補的解釈が主張される。
 しかし、視覚文化という見出しのもとでまとめられるこうしたもの写真の議論等は他方で、批判を引き起こしている。オクトーバー誌での視覚文化論特集からも容易に見てとることができるように、クラウス、フォスター、ソロモン=ゴドーらはこうした試みに対してかなりナーヴァスになっているのである。いわば余白としてのもの写真についての余白に拡がる論争、その理由は、次のような主張を読むと簡単にまとめることができるだろう。(つづく)