ステレオ地


■彫刻写真論

 
左1851年万博の模様 右アリナリ社の彫刻写真の例
  
左アリナリ社のカタログ一部 右 1855年頃の典型的彫刻立体写真
 彫刻を写真に撮る際、作品全体を見ることができるように配慮がなされた。つまり、作品から充分な距離をとり、視点とアングルは、真っ直ぐ正面を向くようなものになる(高いところにある彫像には台が用いられる)。ローアングルやハイアングルは回避される。なぜならそうしたアングルはかえってそれ自体に注意を喚起し、そうした決定を行う写真家の存在に注意を喚起してしまうからである。照明についても変化が生じる。当時、光源は自然光であり、適切な露光のため、被写体の充分な浮き彫り効果や造形物のモデリングを生み出すための光の選択はごく限定されたものであった。このように、距離、構図、照明の選択は最低限の選択肢に切り詰められた。

 スナイダーの議論を要約すれば、第一世代は多様な表現法則、個人的表現によって、第二世代は画一的な表現性、匿名的表現によって特徴づけられる。たしかに、限定され反復可能な構図や照明は、ステレオ写真のみもふたもないリテラルさをみれば明らかであろう――もちろんステレオ写真のもうひとつの特性「立体性」については別個に論じなければならない――。
 しかし、この大量生産されるイメージは、透明、リテラルさを主張しながらも、その実いくつかの修整作業を施されていた。被写体以外の余計なものを脱色したり、中心的被写体の周囲に白い輪郭線を描く作業がネガには頻繁におこなわれていた。できあがった写真は暗い地に貼り付けられたある種の「切り抜き」のような印象を与える。しかし、そうした加工を消費者は、透明なイメージという神話への信頼のために、忘却していたのである。

 さてこうした複製写真はさまざまな消費者のもとへ流通していく。同じイメージが、芸術家、美術学校、公立私立の学校(古典的彫刻の大きなサイズの写真が展示されていたという)、建築家、グラフィックデザイナー、旅行者、芸術愛好家のもとで使用される。以前、「複製の知覚」でも書いたが、こうした複製会社のイメージへの美術史家たちの不平不満は、後のヴェルフリンの言葉を挙げるまでもなく、しばしば耳にされる――ただし90年代までにはもうひとつの変容が生じているように思われる、これは後で。

 スナイダーは、こうしたイメージリソースに写真史研究が手をのばさないことを批判している。しかも、数多くの古典的彫刻、中世の彫刻、ルネサンス彫刻のステレオ写真の数は、1850年代末から数百万枚制作され、家族全体の教育的リソースとして宣伝販売された。つまり、増大する中流階級が家庭において、視覚芸術の諸基準を学び、趣味を向上させ、市民の義務をはたし、さらに帝国の諸関心にしたがって社会化されるためのアイテム、教育と娯楽を兼ね備えたツールが彫刻ステレオ写真であった。

 実は、ステレオ写真は19世紀半ばからの写真の受容において地となるものである。それは必ずしも、写真の用法のひとつの選択肢にすぎないのではない。TV画面やPCの画面を見るように、ステレオスコープを覗くこと、これが写真の視覚の基本になり、それが写真全体の見方のモデルになっていたとまで言うことができる。
 ただし、彫刻のステレオ写真――立体×立体写真――は、スナイダー以上に詳しく議論することができる。これは明日の欄で。(つづく)

■エコー写真論
同時にもうひとつの短い原稿のためにエコー写真論を読んでいる。
中絶をめぐる議論と、静止画/動画、それぞれがもつ説得力の問題、そして科学的イメージが家族アルバムに滑り込むような備給のされかた。ここがポイント。
これはカートライト『視の諸実践』に。