動かないのに動くもの


…ノミさんがアサミさんにあれほど激昂するとは思わなかった。
いや働くおっさん劇場のこと。最終回間近。

■彫刻写真論終了
 ようやく彫刻写真論(というか報告)をひと通り書く。
 書いてみてふと思ったのは、絵画や彫刻の資料になった瞬間写真をもう少し調べてみなければならないということ――でもそれを美術史に回収するような話にしてはつまらない――。例えば、まだ充分にその面白さが開拓されていないマイブリッジを引き続き検討しつづけること。ギクシャク論として提起した運動と静止の間でそれを論じること。
 あるいは別の問題。スライド上映が定着する頃に同時に映画が発明された、静止と運動の双方の映像の様態がこのときどのように変化するのかしないのかということ――しばしば各種スライド論では滑らかにこの間をつなぐが、それは物足りない――。静止のもつ意味の変化、静止の運動性ということ。
 そして世紀転換期の身体文化の掘り下げがさらに必要なこと。動く身体、動く最中に停止させられた身体(瞬間写真)、静止しているが運動感あふれる姿勢をとる身体(彫刻)、動かないと思っていたらやおら動き出す身体(初期映画)、動いているのにひたすら停止して誇示する身体(ボディビル)、そういう身体表象の運動/静止の境界が気になる。これはいずれ戻ってこよう。
 …別にボディビルをやると言っているわけではない。
 苦手な註づくりにいそしみ送付する。さて次。

■動かないのに動くもの
怪談レストラン(34)人形レストラン[図書館版] (怪談レストラン[図書館版])
を注文。
動かないはずの人形の伸びないはずの髪が伸びる。人形の怖さはこの静止/運動の差異に基づいている。それにしてもその話の由来はいつどこにあるのか、これも調べておこう。何のためかは分からぬが。
もうひとつ、70年代半ばのワイドショー番組などで心霊特集が放映されたとき、動くはずのない掛け軸の顔が動いたという事件があった。これも動くはずのないものが動くもの。
そしてそれをポーズさせて繰り返し見るというビデオ問題が生じてきたのも、この頃のこと。動くはずのものを静止させて見る。これも静止/運動の問題。