子ども写真考2


5時間会議。その後お別れ飲み会。尼崎で酔っ払いがケンカしているのを見つつ、帰京。

■こども写真考
 こども記念写真のサイトをざっと調べる。たとえばこことかそことかあそことか。たしか撮影の際にむずがる幼児をぬいぐるみと滑稽な撮影のみぶりで見事にあやすカメラマンなども以前TVで見たことを想い出す。誕生直後、お宮参り、百日祝、最初の誕生日、七五三、入園式卒園式、入学卒業式、、、こういうふうにして、こども記念写真は積上げられていくのだろう。でもこうした数々の貸衣装を来て、スタジオに溢れるファンシーなものの只中で、煌々と照明を浴びて笑顔をふりまく子どもとは対照的な写真がある。たぶん良く知られているベンヤミンカフカの子ども時代の写真である。約一世紀を置いた子ども写真がこうしたもの。『写真小史』参照。彼は当時のスタジオをこう喩えている。
   
 「飾り襞のあるカーテンや棕櫚の木、ゴブラン織りや画架のある、ああしたスタジオができたのは、この時代である。処刑の場とも堂々たる登場の舞台とも、拷問部屋とも玉座ともつかないこうしたスタジオ」
 ここでベンヤミンカフカのこども写真を引く。書割の前に立たされ、不釣合いに大きな帽子を手に持たされ、温室の中に息苦しく詰め込まれた空ろな事物のなかに押し込められた子どもの悲しげな眼に注意を喚起している。
 そしてこの一節と関係しているのが、ベルリン幼年時代の「ムンメレーレン」という断章。そこにはこう書かれている。こうした撮影用の事物が「冥界の亡霊のように私の像を手に入れんものと狙」い、私は「身の周りに置かれたあれやこれやに似せられて、すっかり歪められていた」のである。
 子どもが強いられた悲痛な状況が語られる。でも、そこから先も読むと面白い。先の記述の後で彼は、写真の自分の像を主のいなくなった貝殻に喩え、さらに貝殻を耳に押し当てる。すると、華々しい当時を彩る大音響ではなく、ストーブの灯る音、ランプの傘の立てる音、呼び鈴の音、そうした何ということもない物音が聞えてくると言うのである。
 ムンメレーレンは、模倣の能力についての論文と関連したテクストであり、冒頭には太古の能力の痕跡である、類似を認識する能力が語られ、分節しなおされた言葉がきっかけになって住居や家具や衣服に私が似ることが語られる。たしかにこども写真は、こうした似ることの対極にはある(「私自身の像に似させる言葉だけはまったく無かった」)、しかし、上で見られた子どもの模倣の能力の現われがかすかに聞えてくる物音として控えめに差し挟まれている。ベルリン幼年時代は、こうした太古から隔たった模倣の痕跡に溢れている。しかもそれは別の歪み歪めさせられる能力が語られていたりもする。 

 ちなみに京近美で昨年行ったドイツ写真コロキウムの報告が間もなく出るはずで、そこに報告者のおひとり中村さんのこども写真論――ルクス考――が載るはずです。写真史のなかでの写真家によるこども写真の系譜がざっと書かれています。これも発行されればまた紹介します。

■子どもの写真
 というわけで、――撮られる側としてのこどもの境界事例がエコー写真だとすれば――撮る側のこどもの境界事例はなにか、それを探す。子ども(の撮影した)写真と言われるもののほとんどは、大人による後知恵に基づくものが多い。ウェブ上でもそういう未来のカメラマン的な大人びた写真がごろごろあがっている。それは正直つまらない。
 先日、もう10年来の知り合いの散髪屋の若主人の息子さんの話を聞く。カメラ好きの彼は、幼稚園に通う息子にお古のカメラをあげ、もう細かなことはいっさい言わず勝手に撮らせているそうだ。TVの画面を撮るは手でつかめる距離の玩具を撮るは見たものの部分を切り取って撮るはで、結果として、ボケ、日の丸、対象の切り取りがその特徴になっているらしい。彼のお子さんは、手にするように近くのものを撮る=取る、母親の足だろうが父親の腕だろうが、近くで眼=手にしたものをそのまま撮る。遠くは撮らないし取れない。

 これで想い出すのは、この映画。すでにここで書いているけれど。子どもを撮影した、子どものごとく撮影をするシーンがいくつかある。
 ストーカー 特別編 [DVD]
 上司を脅迫するのに、その子どもの屋外で遊ぶ様子を少しだけ距離を置いて撮影した写真がごっそり出てくると不吉である、そんなシーン。そしてもうひとつは、憧れの家族の旦那の不倫現場に乗り込んで、散々撮影した結果が――まるで子どもがカメラをはじめて与えられた時のように――フレームもずれたボケまみれの子ども的写真であったという一連のシーン。このふたつが、子ども的な写真が強烈に浮かび上がるシーンの映画。

書きかけ