写研27


■写研
2005年5月以来だから本当に久方ぶりの写研。最近発表の機会は視覚文化研究会にゆずっていたのだけれども、今年からまた新たにこちらのほうで視文研ではできないような活動を広げていこうという意図もあり。
今回は青山氏のミシオン・エリオグラフィークの話と橋本氏のモンタージュ写真考。
 前者は、ミシオン・エリオグラフィークと呼ばれるプロジェクトへいたる18世紀末から19世紀半ばまでの政治的、イデオロギー的な文脈を詳細に検討し、そこから見れば、一見すると写真の実際的利用法を説いたように思えるアラゴーの演説やそれと前後する言説が、実は写真の理念を形成し、制度化へともたらすための手段であったことが分かるということ。

 後者は、1950年代以降犯罪捜査に使用されるモンタージュ写真の19世紀的起源に遡行し、その起源とのずれとモンタージュへの欲望のずれを探るというもの。
 ベルティヨン法のなかで、20世紀半ばまで生き残ったのは、口述ポートレートであった。これは、身体の諸特徴を分割区分して記述するものであり、専門家による念入りな学習が必須な方法でもあった。それは、指紋という指標と同様に、非専門的な証言を切り捨て、その曖昧さを払拭するためのものであった。
 ところが、この頼りにならぬ証言なるものが、20世紀半ばに、あたかも抑圧されたものが回帰するかのように再浮上してきている。モンタージュの起源と現在とのずれ。しかし、そもそもモンタージュにおけるように、写真を組み合わせて同一性を認識することとは、いかなる欲望に支えられているのか。それはバテュやゴルトンのあの漠然とした亡霊のような合成像に顕著に示されているように思われる。つまり、そうした試みは、うつしだしえないもの、死すべきもの、それをうつしだし、不死のもの、亡霊的なものと化すような欲望だったのではないか。同一性の亡霊やゾンビ、同一性の指標が散乱する墓場のようなもの、それがイメージを背後でささえている欲望になっているのではないか。

 前者については、この言説や理念が形成される間のカロタイプへの移行や湿式コロディオン法の導入が何の摩擦も起こさず写真の理念に包含されたのか、写真と絵画や版画との拮抗関係についての言説にはどのようなものがあったのか、そして他の諸芸術ではなく何よりも建築を撮影することがになったさらなる意味は何か、、、ということを質問した。19世紀の写真の言説史を調べているとこういうところがとても気になる。それにしてもトルボットとダゲールという対立が歴史の経緯のなかでなんと皮肉にもねじれていったのか、これも検討すべき課題になると思う。
 後者については、やはり心霊の指紋(の写真)が気になる。指紋というのは実は写真的原理をとりいれたゆえに、つまり部分的切り取りであり、ネガや反転の原理をそなえ、事後的に見いだされるものであるという理由から、生き残っているのではないか。しかしその反面、20世紀初頭の降霊会はヒステリー的身体の上演が盛んに行われたその痕跡でもある。しかもその様子を文字通りの写真にさらに写しとめる。同じ降霊会の様子を撮影した心霊写真でありながら、それが帯びた位置価値は20世紀初頭と19世紀半ばとは大きく異なっている。そんな印象をもった。これはその証言も含めて、心霊写真論として少し展開してみたい。

 ビョンくんのムービング・パノラマは、パノラマ的欲望が実現しえないことを示すズレや歪みがあちこちに見てとることができる作品だった。ただし、作品のサイズや鑑賞者の身体が、そうした可視的なものと不可視なものとの拮抗をうまく喚起するようになっているのか、そこがさらに聞いてみたいし、見てみたい部分だった。
 ちなみにパノラマ的/非パノラマ的欲望をかもし出す現代の映像作品の例は、以前情報をいただいたことがあるので、本サイトのリンク新着VC関係に並べておきました。ご覧ください。 

というわけであとの諸々は明日に。