写真の理論

バベル
を見にいこうとしたが無理。仕切りなおす。

■写真の理論
デジタルについてはもうそろそろ文献を漁るのはやめ、その圏域をまとめることにする。
ここでも挙げたミッチェル、マノヴィッチ、批判理論系ロビンス、バッチェンの四者で議論はおさめておく。

『写真理論』の序論(Kriebel)の叩き台の後に掲載されたラウンドテーブル(Margarett Iversen,Margaret Olin, Graham Smith,Joel Snyder, Sabine Kriebel, Elikns,Jan Baetens, Diarmuid Costello)。それへの諸反応。
 錚々たるメンバーがおもいおもいに書いている。議論のまとまりはないが、その顔ぶれは興味深いし、相互の批判や発火点が参考になる。それをざっとまとめてみることにする。
 とはいえ、まずは裏表紙の記載から。

 いまや写真は美術の地位を与えられ、美術史の文脈で教えられることになっている。だからそうした価値付けの基礎を明らかにすることがかつてよりもいっそう必要なことになっている。〔しかし〕奇妙なことに、1980年代以来、写真についての新たな理論化作業が行われていないのである。アーチストと歴史家たちは、パースやバルトからブルデュにいたる広範な従来のソースに依拠しつづけているのである。
 それでは、写真を概念化する最善の方法とはどのようなものなのだろうか?