■伏し目調べ
 伏し目について調べている。
 ジェイの本ではなくて、その前にどのような伏し目文法が一般にはあるかということを調べている。
 一方で伏し目は、こんなサイトこんなサイトで彼を落とす必勝テクとして磨き上げられている。
 睫と瞼のメイクは見開いた目のためではなく、伏せた状態の目の映え方のためでもある。男女ともに伏し目の表情に反応するひとたちのサイト記事も多数ある。伏し目の写真素材を挙げているサイトもある。
 かと思えばしたたかな相手を見定め、早々と見切ってしまい尻目にしてしまう遊女の伏し目を説く記事もある。伏し目の美人画を語るサイトもきわめて多い。
 おそらく、伏し目の問題設定は、視線の弁証法がまずあり、仰視と睥睨の対立が想定され、そこで主体は自らに内面化した視線を我が物としていく過程のなかに位置づけられていた。その合間にあるもっとニュアンス豊かな誘惑的な駆け引きの様態として、あるいは一元的にまとめきれない微細な欲求の力線を俎上に載せるために、伏し目が要請され、伏し目が論じられていたのであろう。それは分かる。

 でも伏し目の現在形というのは、単純にみもふたもないようなケータイ画面を見る目のありかたでもあるような気がする。それが上記の伏し目とどのように違うのかを考えて見ようと思う。
 ジェイの本についての批評も調べてみる。