監視映画論5―蛇目―

■監視映画論5
 記録され、商品ともなり、反復可能なヴィデオテープの存在が道具立てとなる映画が一方にあるとすれば、他方には監視カメラによるリアルタイムでのモニタリングが物語の力学に入り込んでいる映画もある。
 その例は以前も挙げた『硝子の塔』、『スネーク・アイズ』。
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 とくに詳しく論じられるのは後者である。
 以前紹介した『カンバセーション』のラストシーンでは、監視的な語りが依然として可視性の点では微妙なしかたで呈示されていた。他方、こちらでは、もっと明瞭にその両義性が前景化されている、とレヴィンは言う。
この映画は、冒頭で執拗なトラッキングを行う。主人公の刑事を中心としてパン・ティルト・ズーム(PTZ)を繰り返し、物語世界の設定――カジノで行われたボクシングのタイトルマッチ、そこで企まれた国防長官の暗殺の一部始終、これに関与する人物たち――を呈示し終える。長官暗殺直後、カメラはなぜか真上からの短めのショットに切り替わり、その後、通常の物語るショットの連続に移行していく。ありえない視点からの客観的ショット、それが連続する。
 それが少しずつずれはじめるのは、二つのモニター室の場面からである。ひとつはTV中継用の制御室、もうひとつがカジノの中央監視室である。
 まず捜査を始めた刑事が最初にやってくるのは、TVモニター室である。そこで試合の八百長疑惑に気づき、選手控え室にやってくる。やがて八百長の真相を語りはじめるチャンピオンの語りとともに、フラッシュバックのシーンへ移る。TVカメラを押しのけた主観ショットから始まり、鏡映像を介して客観的ショットに戻る。ここには揺らぎはない。
 ところが、白い服の女を捜索して刑事がカジノの中央監視室とやりとりをするシーンから、この安定した視線の配置がずれていく。
 監視の粗い映像、女を追う刑事と犯人それぞれの主観ショット、両者をつなぐ客観的なパン、近視であるゆえすべてがボケた女の主観ショット、エレベーターに逃げ込みホテルの一室へ向かう女、そのエレベーター内の監視映像、行き先の部屋を探す中央監視室の記録映像、それをズームする客観的ショット、エレベーター内の主観/客観的ショット、女の到着した部屋を探す犯人のめくるめくパン&トラッキングのショット。。。
 しかし、ずれはその後に起きる。ホテルの部屋の表で聞き耳をたてる犯人の真上からのショット、これが当初は監視映像のたたずまいでありながら、上方に移動していき、ホテルの屋根をつきぬけ、すべての部屋を壁をぬけて俯瞰するトラッキングショットに切り替わるのである。これは監視映像でもなければ、物語世界内に収まりきる客観的ショットでもない。そういう壁抜けショット。
 壁抜けショットは、ラスト近くのシークエンスでも効果的に使用される。
 これは講義で喋る。PTZで対象を追う視点が、しだいに前景化され、同じPTZを駆使する映画の視点、映画内TVの視点、監視カメラの視点、その間のどれでもない視点、その蝶番が外れる。そんな映画。音楽はちょっとだが、そういう視点から見ると面白い作品。
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