中吊りの知覚


■ペット写真をお供に
 …それはもたないと思う。写真関連素材として記録。

■中吊りの知覚
 帰りの列車で女性誌の中吊り広告を見る。
 例えば女性セブンはこれ
 なんだか22世紀に東京湾で発掘されたドラえもんのマグカップのように訳が分からない。

 中吊り広告は他の広告と一線を画している。
 見るものがないから茫然と目を這わせて反芻する視線の利用法がある。

 この中吊りをパネルにした関西のバラエティが、どんどん関東圏の放送にも浸透している。例えば『アッコにおまかせ』とかみのもんたのズバッととか。
 授業でもパネル画像を作れないか思案中。もんたメソッドはすでにある。めくりに加えてパネル回転のソフトとかないのだろうか。しばし検索する。

■業務
 講義でようやくハネケ『隠された記憶』45分バージョンで話す。ビデオという道具立てが映画の中で過去の記録やリアルタイムの像として使用されてきたとしたならば、ハネケの場合には、時間の枠組みと物語の枠組みが少し傾ぐような奇妙な感覚がある。
 『マイノリティ・リポート』についてはさわりだけ話す。過去の監視記録、現在の監視同時記録と来て、今度は未来の監視。しかし、未来が過去と現在に、いやむしろ無時間性に分裂していくような面白さがある。とても30分ではもったいない素材なので後期へと膨らませる予定。この関連ではすでに中村秀之氏の論、藤井仁子氏の優れた論があり、偏差があって面白い。さらに文献を集めてみる。今日挙げた文献は、未来社の『未来』の第7回(?)第9回以外は次のもの。
 

 スピルバーグ―宇宙と戦争の間 (Bamboo mook―クリエイターズ・ファイル)

 1年生ゼミは、B'zと安野。久々にあのイナバ唸りを聞く。
 働きマン(1) (モーニング KC) J-POP進化論―「ヨサホイ節」から「Automatic」へ (平凡社新書 (008))
残りは明日の欄に。