世陸、バッチェン


■世陸CM
 世界陸上の選手の紹介にある
「なげすぎる40歳」とか「一日一歩の夢追い人」とか「リトアニアケビン・コスナー」とか「チェコの未確認飛行レディ」とかってたぶんプロレスから来たものだろう。
企画会議で煮詰まった挙句にでたことがよく分かる。競歩のそれとか明らかに苦しい。
 ところでこの番組で流れているセコムの新シリーズCM。なぜこうも不気味なのか。靴下とセコム、犬になった父とセコム、試される人とセコム。
 レトリックが醸す不穏な居心地の悪さがある。


■バッチェン関係
 先日あげたバッチェンによるレヴューはここにあった。
 対象となっているのはいわずと知れたこの大部な本。
Art Since 1900: Modernism, Antimodernism, Postmodernism
 この種の本としては第一級の本ではあると言いながらも、その編集や構成原理に潜む省略や削除、歴史的事象や社会的実践への閉ざされ、文化的差異への軽視、、、というオクトーバー派が陥っている袋小路を厳しく批判している。1980年代に始まったこの制度批判的な野心的試みの雑誌が20年後にはすっかり市場原理に収まる言説を綺麗につむぎ挙げてしまっている、、、こんな議論である。
 同じサイトには同著者の他の論文も(Afterimage等に所収のもの)挙がっている。

■バッチェン関係

The Language of New Media (Leonardo)

The Language of New Media (Leonardo)

 もうひとつ。先日も言及したマノヴィッチの本(『ニューメディアの言語』)についてのマノヴィッチとバッチェンのやりとりがある。ここのサイトの左下インタヴューの中にある。攻めとかわしの興味深い例。
 この本についてのバッチェンの批判は、なぜ単数の概念的枠組み(1930年代のロシアアヴァンギャルド映画等)によってニューメディアの歴史という構成をするのか、メディア相互が貫入しあう複数の歴史を見る必要もあるのではないか(例えばこの本でいささか特権化されがちなツーゼの孔開きフィルムの例以前に、バベッジ(階差エンジン)―トルボット(写真)―ホイットストーン(ステレオスコープ)の交錯をバッチェンは挙げる)。
 まだ読んではいないがマノヴィッチのこの賛否両論の本、ようやく注文する。
…たぶん議論のなかの映画ということで意味されているものがマノヴィッチにおいてはすべて一緒くたにされている感じもする。それは映画ではない。しかし映画である。ただし映画ではない、、、そんなところを読んでみることにしよう。

もう一件、と思ったが時間切れ。これは明日に。
「イメージの臨界」には少しだけ顔を出します。
各ブログで紹介されているので(例えばサトウ氏のところ)それをごらんあれ。