憑依されたメディア3

■憑依されたメディア
(2)世紀転換期の無線電信の登場は、こうした電気的現前についてのまったく異なるヴィジョンを産み出すことになった。

・隔たりと近さという逆説

 1902年から35年の間、無線の奇妙な性質についてさまざまな論争やフィクションがつむがれる。電信や電話との違いは何か。それは、後者が対話者との時空を超えた直接的で近しい、物理的な線を介しての接触をもたらしたのだとすれば、前者が空中を通じて遠く隔たったが即時的なコミュニケーションを可能にした点にある。

大気の中の抽象的な存在である電気、それが覆う規模は電信や電話と比べ物にならない。一見するとそれはある種、共同体的であるようにすら思えるところに魅力がある。しかし他方で、無線は拡散し、相互に隔絶し、原子化した受信者を強く意識させ、不安や恐怖を引き起こす媒体でもあった。無線にともなう逆説とは、このように、不可視の拡散した受信者との相互の関係を感じさせながらも、驚くほどの距離を意識させることである。

 無線メディアを語る際に頻繁に話題に上る比喩、広大な海、大洋、エーテル的大海原もここでは考慮に入れておく必要がある。いわば海上で漂流する小船のように、通信する相互の主体は意識され、ある種のメランコリーをもってコミュニケーションは語られることにもなる。もちろんそれは近代の進展に伴う伝統との切断として要約することもできる。しかし、その比喩や無線を道具立てにした物語、象徴的な出来事や虚構は、メディアのコミュニケーションの様態も少なからず語っている。

さらにもうひとつ重要なのは、無線電信においては接触の喜びがあったということである。いかに隔たった場所からエーテルを漂ってきた信号を受信するのか、そこでは内容は問題ではない。受信そのものが無線メディアの中心的な魅力だったのである。我交信する故に我あり。つながって自身の存在が保証される。ただし、送信に対する受信の脆さや微かさは明白であった。例えば、この無数のブイが孤独に広大な海を漂う有様を亡霊の国にたとえる言説もある。無線の不安定さを示している言説。

・さまざまな無線エピソード

 この本では、その後、実にさまざまな無線を介しての心霊譚あるいは事件にかかわる無線のエピソードが紹介される。例えば、人間の身体そのものを交信機にする試みがある。人が手をつないで信号を受信する、ある意味で異様で不気味な光景が繰り広げられた。あるいは家庭にあるさまざまな金属を含む事物が勝手に喋りだしたという逸話も多数ある。雨樋や鏡やシャベルまでが喋る。
 他方で、死者からの交信を傍受する話も多い。別の海原へと飲み込まれ、拡散した意識が交信相手なのである。分離や別れと直接性や即時性の結びつきは、グリフィスなどの映画でも主題化された。もちろんこれは電話がツールになってはいる。しかし、家族が今強盗に遭う様子を直接聞きながらどうしようもない隔たりに阻まれている感覚、それが電話よりも無線において強く意識されたという。
 しかし何よりも無線へのさまざまな感情を収斂させている歴史的事件は、1912年のタイタニック号の沈没である。言うまでもなく途切れがちの無線傍受と死者の結びつき、しかもそれが文字通りの海で起きる。無線法が制定されるきっかけにもなる事件。
 もちろんその数年後の第一次大戦も無線の感情の浸透に大きな役割を果たしている。戦争で失った息子との交信は、直接性と隔たりの顕著な例であり、無線と死はその結びつきを強める。心霊主義や交霊会の再燃の契機ともなる。別の海原という空虚からのメッセージ、彷徨う信号、その受信という接触、1922年のラジオ放送のブームまで、こうした諸要素が無線コミュニケーションの享受を深く引き起こしていた要素であった。

・テレパシーと無線 
 こうした、死者の漂う場所としての大海のエピソードを補完するのが、テレパシーのメディアとしての無線という話である。死者との交信は信用しないものの、無線的なものによってひとびとの意識が信号化されやり取りされうる、それがテレパシーの可能性の基礎にされる。著名なジャーナリストUpton Sinclairによる「心的ラジオ」説(1930)、Frank Podmoreによる幽霊は「テレパシーによる幻覚」であるという理論(1921)、超常現象研究家Joseph DunningerのNBCスタジオを用いたテレパシー実験(1929)、こうした言説や実践が示していたのは、ラジオ放送が始まった直後に、ラジオの電波と思考の電波が類比的なものであるという考えが広まっていたということである。

エディスンなどの話は長いので翌日へ持ち越す。
(つづく)