憑依されたメディア5

CRリングのページ。「きっと来る」確変とか、「貞子終焉リーチ」とか、カメラでせきとめたり、テープを使用したギクシャク感とか、よく考えられている。
やってはいないけれど。


■憑依されたメディア
 第三章「エイリアン・エーテル」。

 1922年A・G・バーチの『月の恐怖』が発表される。別の惑星からとしか考えられない信号を地球上で受信する話がその大要である。同年、ラジオ制度の大変革が起きる。20年代初頭、アマチュア間での無線電信から商業的なラジオ放送網の形成への移行が、それとともにラジオ熱、ラジオ・ブームが起きたのである。この、ラジオ放送網の管理は、ラジオの経験の根本的変化をもたらす。それは電気的現前の質も変容させることになるのである。

 以前それが、海原を漂う信号を無線で受信するというロマンティックで憂鬱な物語において語られていたとしたら、この変化以後、電気的現前への反応は、他の惑星、とくに火星からの放送の受信という物語の形をとることになる。

・火星無線
 19世紀末以来、火星との交信可能性についてはさまざまなひとびとが議論していた。1920年代、この火星からの信号への熱狂が再び生じてくる。同時に、それをパロディにした物語も数多くつむがれる(Ellis Butler『ラジオからの火星のメッセージ』(1923)、ハリウッド映画『ラジオ・マニア』など)。

 1910年前後から火星の生命体の可能性を想定し、その外見を推測する言説も多数登場している。そうした言説のなかでは、火星の文明はいわば地球の科学文明の未来を先取りした形をとっている。未来への進歩の線上に位置するどこかとしてそれは思い描かれる。(他方で死者との、霊界との交信は否定され、嘲笑されるものでしかなくなる)。
 しかもそうした未来像を開拓すべく冒険をあえて試みる姿勢は、ラジオや無線技術と結びつき、少年文化のなかでの大人気の趣味として定着することになる。

・放送網の確立
 第一次大戦後、ラジオの聴取において起きた変化は、国民全体のラジオへの関心、家庭用ラジオの普及、商業的放送網の形成、その整備のための法律や規制などである。この放送網に対して、かつてのアマチュア無線家、宗教的、教育的団体の改良主義者、社会科学者がさまざまな批判や修正案を提示する。しかし、同時的で中心化され、基準化されたラジオ放送制度へのある種抵抗的な反応を明白に示しているのは、大衆文化のなかでラジオを道具立てとしたフィクションである。
 しばしばカタストロフとラジオというメディアを結びつけたそうした虚構は、ラジオで散発的に流れる遠隔地の危機的状況を伝え、それがやがて聴取者にも迫っていき、世界は終わりを迎える、、、という筋をとる。その典型例が、ウェルズのあの『世界戦争』(1938)であろう。
 従来、マスメディアの歴史のなかでこの事件は頻繁に論じられてきた。例えば、メディアの全体主義的利用による大衆の支配、あるいはラジオ聴取者の信じやすさへの批判が語られる。しかしこうした議論には、重要な論点が欠落している。
 ラジオ熱から10数年たったこの当時、ラジオメディアの分配システムがすっかり確立され、浸透していた。しかしそのシステムは一面的であり、そのシステムが社会的現実への姿勢を形成するまでになっていたという。ここで重要なのは、ラジオの受容者たちがあえて破局を欲望していたということである。『世界戦争』の恐怖と魅力の源泉はここにある。
 この作品あるいは事件においては、いくつかの破局が重なっている。軍隊の技術の崩壊、メディアの崩壊、社会構成体の崩壊である。メディアが形成した、メディアが厚く覆いつくし秩序づけている社会、その破局=死は、メディア網という電気的現前が見えにくくなっていて受容者たちに、抑圧されたものの回帰を示してくれるものだったのだ。
…と著者はまとめる。ドーンの議論(「情報、危機、カタストロフ」)がしばしば引用されているのは言うまでもない。それは過去の欄を参照のこと。

しかしこの章で抜群に面白いのは最後の数ページ。
それは翌日の欄にて。(つづく)