TVの時間


どうでもいい話だけれど、手羽先せんべいをもらった。「非」常食にしておく。

大委員会で神戸。もういくつ会議があるのやら分からない。面談もついでにして終了。


■TVの時間
以前も紹介したドーンのTV論(「情報、クライシス、カタストロフ」(邦訳は『InterCommunication』誌58号〔今年の6月の欄を参照〕))をもう一度読む。これがずいぶん前(88年)に書かれた論だということにも驚く。と同時に、TV的なもの、ビデオ的なものの圏域が90年を挟んでいかに反復的に現前しているのかを、まだまだ掘り下げる必要があるのかもしれないと思う。これも今授業で更新中の電気論にとりいれることにする。その前に当論文所収のこの論集も読んでいかねば。

Logics of Television: Essays in Cultural Criticism (Theories of Contemporary Culture)

Logics of Television: Essays in Cultural Criticism (Theories of Contemporary Culture)

 

ついでに「分裂病」患者がしばしば陥る「TV体験」の症例を集めはじめる。案外ウェブ上ではあがっていないのだが、電気的現前の50年代からの問題を考えるために必要な素材。電子メディア論―身体のメディア的変容 (メディア叢書)でも議論されているのだが、遠心化と求心化の論理をもう少しどうにかずらせないのかを考えてみたい。