サブトラクション アトラクション

■引き続き
ついでにガニングとベッヒャー派についても。

・アトラクションのサブトラクション?

 ガニングのアトラクティヴな議論をその理論的にアトラクティヴな面をすべて引き算して限定しよう、それがガニング発表だった。そうした制限を加えたい(引き算したい)意図は分からないでもない。もし発表者が言うように、アトラクション論者が何でもかんでも画一的にアトラクションだという片付け方をしているのならば、問題はある。
 だが、引き算をしすぎても何のためにガニングの議論が要請されるのかが分からなくなる。初期映画の問題、窃視症的問題構成への批判、1920−30年代のショックによる内破的議論、70年代以降の映画の位置の問題、こうしたいくつかの糸が寄り合わされてアトラクションの話は組み立てられている。そうした思考の星座をサブトラクション(引き算)するならば、とたんに議論が気の抜けたものになってしまう。差し引くにしても、このような磁場は丁寧におさえておく必要がある。
 もちろんガニングの議論のなかでは、シネマトグラフの当初の販売戦略、写真・映画産業の問題、当時の上映の問題、さまざまな手がかりがあちこちに散らされて提示されている。ところがそうした資料への肝心の参照がきわめて曖昧だったり、資料の持ち出し方が強引だったり、あるいは議論に断絶があったり、問題はある。しかしそうした部分は彼以上の資料を出して批判する必要がある。
 ということを考えると、他のもっとアトラクティヴではない(資料整理などでもっと堅実な手続きをする)初期映画論者を論じるほうがいい。それが聞いた直後の強い印象。
 関係ないかもしれないが、ガニングの大部なラング論とか、時間を作って読んでみたくなった。
The Films of Fritz Lang: Allegories of Vision and Modernity (Distributed for British Film Institute)