まだ動いている

雑用を半分すませてようやく本業。

■アマチュアそろそろ
アマチュアたち (現代アメリカ文学叢書) Cult of the Amateur: How Today's Internet is Killing Our Culture and Assaulting Our Economy Amateurs, Photography, and the Mid-Victorian Imagination
写真におけるアマチュアの分岐点を引き続き調べつつ、過去と現在のアマチュア(写真家)概念も調べていく。最近少しだけ流行したアマチュア礼賛でもなく、プロとの二項対立で階層化されたアマチュアでもなく、その余白のアマチュア的なものを探している。

 シュティグレールの「アマトラート」も気になるので調べる。彼のこの概念について企画されたシンポの記事は『インターコミュニケーション』のこの号にある。簡単に言えば、メディア技術の進展のなかで生産と消費の二項対立では立ち行かなくなったダイナミックな社会関係を、愛好者(アマチュア)という概念によって斜めにつないでいこうという話。その話に、藤幡氏がそれはおたくのことじゃないのかよという質問。ここが妙に面白い記事。
 とはいえ、もう少々調べる必要があり。現在のアマチュアと過去のアマチュアを検討する必要もある。そういう意味では上に挙げた批判の散々ある『アマチュアカルト』も参考になるだろう。ブログを書く/ブログを読む人、画像をアップロード/ダウンロードする人、これが現在形のアマチュアなのでもある。

■still moving
 60年代SF番組を次々と見る。
 昨日も挙げた『10秒間の未来』は、飛行実験の事故のために現在と未来の間にはいりこんでしまった男の話。男が見る光景のショットはすべて静止している。そこには静止画が使われている。もちろん男と静止しているもののショットは技術的な問題もあり、俳優たちがひたすら凝固している。ただし、説明としては時間の間では事物は恐ろしく緩慢に動いているのだ、と説明される。
 『ルミノス星人の逆襲』。これは、石化症を引き起こすウィルスのある異星人が労働力として地球の郊外の6区画を誘拐する話。郊外、核家族の家庭、さらわれた先の異星、それらが皆静止し凝固する閉域としてテレビという底なしの閉域で展開される。
 まだ動ける、でも動けない、それが味噌となる作品。