ループする猫


 大学の引越もだいたい終了。…というかまだ引越してんのか。。。
 ともあれこのひとつき、廃棄処分になったものの使える屑、持ち主の分からぬ部品をひろいあつめつづけている。屑拾い、悪く言えば引越泥棒というのも引越の醍醐味なのであった。


ストップモーション
 以前ここにあげたStop Motion, Fragmentation of Timeをコピーしてもらう。
 ゴードロー、マッサー、ガニング、フリゾ、マルタ・ブラウンなどなどが加わったシネマトグラフをめぐる会議録。
 ガニングの論文「運動のなかの身体」は、以前『写真空間1』で言及した議論の補足版だった。理想的身体と逸脱的身体のあいだに宙吊りになった身体がある種の写真として、それを撮影した写真がクロノフォトグラフィとして議論される話。
 巻末のFaden論文「クロノフォトグラフィとデジタルイメージ」は映画『マトリックス』のあの、伸びをして戸口を通り過ぎる黒猫が反復され、ネオが「あ、、、デジャヴ?」というショットから話を始める。「デジャヴ」とは、このシーンにも特徴的であり、初期映画のあのループされたイメージにも特徴的である、文字通り、すでにみたものの繰り返しを意味するし、他方で、それは何ら新たなものではないということを意味しもする。揺籃期にあるこのゆれ動き、移行的な段階をせきとめてみよう、それが論文の意図になる。
 つまり、筆者が目標とするのは、100年の時を置いて強迫的反復のように繰り返されている特徴を拾い出すということである。たとえば、「抽象」と「リアリズム」というループ的特徴に関していえば、マレイの抽象的図像とリュミエールのリアリズム的時事物に見られた対立が、現在のデジタル映像でも反復されている―『トロン』と『ジョニー・ニモニック』―。この推移は、装置の形状の変化からも議論することができる。ループ的形状の装置が線状の形態へ変化するとともに、非連続的な可視化から連続的な不可視のスタイルへの移行が生じているというように。
 しかし初期映画のループ的上映形式および装置の形状には、別の意味でのアクション・マッチが作り出された。つまり際限なく運動する馬のギャロップを可能にするには、最初と最後の連続性を確保しておく必要があった。これは現在の、恐竜の群れやパニックに陥る群集たちの最小単位の運動サイクルの画像のコピーにおいても確認できる特徴である――『ジュラシックパーク』や『タイタニック』――。
 三つ目のループ的特徴としてワイヤーフレーム状に実演する役者の運動を読み取る試みも挙げられる。これは説明の必要はないだろう。四つ目に、『マトリックス』のあの回転する連続写真とマイブリッジの動物の運動での回転写真が挙げられる。これももういいだろう。
 …とまあ、似てるといえば似てる話に終始した論文。
 結論として例に挙げられているループは同時に記憶喪失をも意味するので、そこから覚醒するための手続きが必要だ、、、という主張も議論から導き出された結論なのかどうかもよく分からない。

 ただし、ループの問題は面白い。
 あの黒猫は粗い肌理でギクシャクするのも特徴。
 ギクシャク映像の問題の素材になるだろう。

 そしてどうでもいいがキアヌ・リーヴスの問題ある演技という言い回しが反復されるのも面白い。反復性とキアヌ。

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