諸々

■デジタルディストピア
フレッド・リッチンのデジタル写真論をざっと読む。
その一本はここに収録されている。

The Critical Image: Essays on Contemporary Photography

The Critical Image: Essays on Contemporary Photography

リッチンの基本的な見解は、フォトジャーナリズムにおいて写真の真実性はもはやその技術的根拠にもとづかせることはできない、たとえば報道を生業とする数々の雑誌においてすらデジタル写真による加工が通例となっている。。。総じてきわめてディストピア的なデジタル写真観を表明している。ミッチェルとは対照的である。
 それでは写真イメージの真正性はどこにもとづかせればいいのであろうか、と彼は問う。彼によれば、起源とのつながりが安定したイメージを保証するのは、作者や著者や彼らの属す制度機関の良心や信頼や倫理的姿勢である。…これはミッチェルの言う防衛的後衛的な典型的立場になるのだろう。画像の外の主体への依拠可能性は微塵も疑われない。あまりにも閉じすぎている議論かもしれない。

 スクワイアズ編のもう一冊の論集『露出過多』にもデジタル写真論はおさめられている。バッチェン「エクトプラズム」とドラッケリー「不安定と拡散」の2本。ただし邦訳版にはおさめられていない。
露出過多 (東京都写真美術館叢書)
overexposed
ついでにスクワイアズ本もおさえていなかったので注文。

Portrayals

Portrayals

  • 作者: Charles Stainback,Carol Squiers,International Center of Photography
  • 出版社/メーカー: Intl Center of Photography
  • 発売日: 1987/06/01
  • メディア: ペーパーバック
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Police Pictures: The Photograph As EvidenceThe Body at Risk: Photography of Disorder, Illness, And Healing
ひとまずドラッケリーをもう1本流し読みする。
(つづく)

■cross sections
すっかり忘れていましたが、近美の紀要が出ました。ずいぶん前にやらせていただいたシンポの模様が収録されています。20部ほどもらえるそうなのでご入用のかたはお知らせください。ただし送料はご負担願います。

『Cross Sections』vol. 1、京都国立近代美術館、2008年7月

論文
岩城見一「芸術的精神の現象学――(11)」   ――2
池田祐子「ドイツ表現主義の彫刻家エルンスト・バルラハの陶磁器作品について   ――18
中尾優衣「蒔絵技法から伏彩色螺鈿技法への移行――一九世紀前半における『長崎青貝細工』の制作について   ――28
報告
クレスティーナ・スカール「演じられるアイデンティティ/演じられる性差――やなぎみわの《エレベーターガール》《My Grandmothers》シリーズへの一解釈」(修士論文要旨)  ――50
コロキウム:「ドイツ写真の現在」を考える
佐藤守弘「コロキウム構成」  ――55
前川修「コロキウム総括」  ――56
小林美香「『ドイツ写真の現在』展を読む――写真作品のかたち」  ――58
中村史子「ドイツ写真の子どもたち――ルクスの現在形」  ――64
鈴木恒平「シュトゥルートの場所――『ベッヒャー派』という物語」  ――72