諸々


■引き算の現在
Baby cruising Love/マカロニ
パフュームの奇妙さはすでにホソマさんが充分に指摘している。それはここを参照のこと
ただ、この時制のない過去の未来がなぜこんなにまで受けてしまっているのかは不思議な現象かもしれない。別に80年代でもいい過去の未来形が、しれっとどこにも結びつかない現在性へと巧妙に引き算されて繰り返されること。聞くけど、聞くたびにえたいが知れない。

■デジタル写真論
ようやく五合目まで書く。
80年代末と90年代半ばの議論の位相の違いを書いている。
当初は技術そのものが直裁に文化にもたらす帰結を肯定的に論じる議論が多かったとすれば、時を経ずして技術が存続させている権力関係が批判的に議論されるようになる。さらにその後まもなくして、こうした画像の政治的利用の詳細が検討されるのが通常のことになるとともに、アナログ写真とデジタル写真の単層的な区分や関連付けがいささか性急であることが指摘されるようになる。マノヴィッチの「デジタル写真のパラドクス」もこうした議論を受けてのデジタル写真論なのであろう。
(つづく)