出会い損ないのモード
■霊との出会いのモード
呪怨本を読む。心霊ビデオを見ていると、ホラー映画を見るのが楽に感じさえする。
『呪怨』の怖さは階段での伽耶子の低速のぎくしゃくした這い降り方や色を失った白塗りの俊雄の見切れ方ばかりにあるのではない。映画事態が断片として時間軸上を行ったりきたりするような構築方法になっているところも案外怖い。で、清水氏があの構成の理由を説明した部分が上掲書左上にはさらっと書かれている。
つまり、『デカローグ』『偶然』のように「観客のみが知りうる人のすれ違い」を構成するために、時間軸を切断し、相互に交差するように断片を前後させるということのようだ。たしかに、登場人物たちは微妙にすれ違いを見せる。たとえば『呪怨2』では恵と朋香、京子と千春など。で、上掲書右上の呪怨年表を参考に時系列をまとめている。構成は次のようになっている(数字は時間順)。
・京子 3
・朋香 1
・恵 2
・圭介 4
・千春 (3の一部)
・伽耶子5
もちろん、ホラーならば時系列をいじると、後の怖さの山場がすでに認知済みのはず。だが、それが微妙にずらされぼかされる。たしかに反復して霊の登場の山場を見るのだが、かえって怖さが増していく。これが特徴的かもしれない。
また、エピソードひとつのなかでも、時間の順序がループしてつながっている(「朋香」、「千春」の章)こと、今ないものが今あるようなショットがあること(「圭介」の章の京子の母)、これも、前後の挿話内で比較的時系列の順序にくみたてられたシーンの合間にはさまれる。先の「朋香」「千春」のシーン、これらは短編として取り出しても見れてしまう構成かもしれない。
他にもコピー機で登場する霊が面白い表現。
清水作品をさらに追加すべく次の作品も注文。