入れ子、流用、ボディホラー

入れ子、流用、ボディホラー
昨日の『recreational terror』には、いくつかの映画内映画、映画内画面ものが挙げられている。

殺人者はライフルを持っている! [DVD]デモンズ [DVD]ポップコーン [DVD]エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア スペシャル・エディション [DVD]
 最初の『殺人者は…』は、かつての古典的ホラー俳優の演じる映画がドライヴインシアターで上映されている際に、現代的なサイコ的殺人者が殺戮を始めるという入れ子である。いわば、古典的ホラーからポストモダン的ホラーへの移行を映画内で示すような作品だという。『デモンズ』『ポップコーン』は映画館で襲われる観客たちという設定がある。『デモンズ2』はテレビを設定しているようだ。『エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア』も自作を自己言及的に設定とした映画内映画ホラーものである。
殺しのドレス (2枚組特別編) [DVD]プロムナイト DVDBOX
 また流用の例としてデ・パルマの『殺しのドレス』やピットマン『Hello Mary Lou』が『キャリー』の設定やラストを反復していることはよく知られている。ジェイムソン流のパスティッシュという解説に落ち着くよりも、いやそもそもホラー映画の歴史自体が30−40年代もののリメイクやシリーズに満ち満ちていると反論することもできるだろう。ホラー受容はこうした観客による前提となる知識が案外大きな文脈になっている。
 しかし著者の主張によれば、かつてのリメイクものと現在のホラーの相違点は現在の「グラフィックな暴力性」であり、しかもこれがスプラッター過剰でほぼスラップスティックに近づいてしまった「スプラットスティック」になっている(John McCartySplatter Movies: Breaking the Last Taboo of the Screen参照)。ホラーの恐怖状態とコメディのパロディ的なものが混ざり合い、肉薄した怖いものが距離を置いて笑われ、距離を置いて笑うべきものがかえって積み重ねられて怖くなるという倒錯まで起きているという。そうしたテイストを帯びた「ボディ・ホラー」という枠組みが論者の前提にある。スプラッターはだめなのだが、しかたはない。注文。

■女優霊の入れ子
 ところで、こうしたグラフィックな暴力性もJホラーの一部では重要な要素だが、これにならんで入れ子式の設定も数が多い。
すでに今年挙げた清水『輪廻』が映画内映画でもあり、さらに捩れたループ的、入れ子的構成をとっていたし、そもそも中田『リング』も映画内ビデオという入れ子であり、一連の「のろいのビデオ」シリーズもその枠組み内の枠組みゆえに怖さが増している。だが――以前にもミクシで書いたが――入れ子式の最も複雑なものは『女優霊』である。整理すると、
 1『女優霊』という映画自体
 2『女優霊』で制作されている映画
 3 この映画内映画にまぎれこんでいる未現像フィルムの作品
    そのクライマックスと思しきシーンでは、主演女優が驚愕し身じろぎする後ろに、
    撮影中に死んだであろう女優「の」吹き替え女優が憑依されて佇む。
 3’この未現像シーンをどこかで見たと言っている映画内映画の監督の作品
さらに続ければ、この3の作品は、母のいないある子どもの母の「代わり」をしていた女性が、母になり代わって子どもを殺害するという話のようである。このいないはずの母の呪いが、母の代役を演じる女優を殺すにいたる(転落死)。だから、
 4 いない母の次元
も付け加えられるだろう。
2でも若手女優が謎の転落死を遂げる。この女優を別の吹き替え女優が演じる。
しかも、2のクライマックスでは、この転落死した若手女優が霊として姿を現し、先の吹き替え女優が幽霊に憑かれた姿で(3のクライマックスをなぞって)現れる。2,3,4が重なり合い、それが1の枠組みのなかで幾重にも重なって同時に提示される。
まだ整理中。