スクリーンと万博

■キュア
ついでに『CURE キュア [DVD]』も見る。
声と音声の居心地の悪さ、そしてラストの音声再生装置のたえざる反復が核。
『降霊』の録音技師も気味が悪かったが、キュアの音も同様。

■67年モントリオール万博
Fluid Screens, Expanded Cinema (Digital Futures)
 の序文をざっと読む。カナダのメディア論的文脈の説明。
 67年のモントリオール万博に関する論文(Janine Marchessault「67年万博のラビリンス・プロジェクト」)もざっと読む。この万博とにかくスクリーン尽くしであり、スクリーンの消失どころかスクリーンが入れ子状になって物質化し、広義の映画がとくに主要な役割を果たした万博であった。論文自体はテーマ館のひとつ「ラビリンス」がどのようなスクリーンの提示方法をとっていたのか、その根底にあるメディア論的思想はどのようなものかを簡単に概説したもの(マクルーハン、ヤングブラッドの説)。
 テレビメディアについての言及が少しだけ興味を惹かれる程度。論者が『スタートレック』を引きつつ、入れ子状のテレビスクリーンによる移動とそこに体現された液状化した世界をノスタルジアにそまりながら想起しつつ現在を説く立脚点、これが掘り下げられそうな素材かもしれない。

■メディア考古学としての 
 上記の序文でも言及されていたエルセサー「メディア考古学としての新たな映画史」はここにあがっているので早速読みはじめる。