時代、顔


休日も次々と雑用が入る。というわけで書きかけを翌日に。

■能力開発支援センター
 バッチェン『欲望に焦がれて(仮)』第二章の訳文チェックのための読み合わせをする。安く借りた会場が、職業能力開発支援センターだった。。。ある意味、能力開発の場所かもしれない。
 2月から3月にかけてはバッチェンの当該の本を訳してしまう予定でいる。諸々、もう少しお待ちください。

■時代、顔
 ザンダー研究者のケラーが言うには、ザンダーの『時代の顔』や『20世紀のひとびと』を十分に理解するためには、当時の同種の写真や写真集を考慮にいれなければならない。たとえば、1900年前後からのアマチュア写真家登場にともなう、芸術写真家の彼等アマチュアおよびスタジオ写真家への批判が写真史のうえではしばしば話題になる。そうした写真家のなかのひとりDuehrkoopが撮影する肖像写真は、次のようなものであった。都市化や工業化の脅威に対して内面の精神的安定求め、ことさらにカメラの前でポーズを採ったり、こしらえ物のセットに囲まれることなく、私的で親密な空間のなかで日常的衣装をまとい行為に没頭する被写体を捉えた写真を数多く撮影している。以前この場所でも紹介した『German Photography』でケラーが指摘していた、世紀転換期の肖像写真のひとつの典型である。ザンダーの写真を考えるうえでまずあげられる肖像写真の典型である。このページの上段の一連の写真がそうした例になる

 ザンダーの写真集が刊行される時代である1920年代には、前衛による「機能主義的」写真(モホイ=ナジ)、そしてロシアでの前衛的な写真(ロトチェンコ)、両者の広告写真でのスタイルの流通などといった事象をあげつらうことができる。しかし、いくつかのそうしたスタイルの肖像写真を見れば分かるように、そこにはザンダーの文化的背景に結びつくものを見出すことは難しい。ロトチェンコの肖像写真例はこれ
 むしろ、彼の企図を考えるには、政治的方向性を色濃く帯びた肖像写真集を考慮にいれなければならない。第一次大戦後の国家的な「同一性の危機」の心理、その結果登場する、政治的哲学的に世界を基礎付けようとするさまざまな社会集団、それを風刺するカリカチュア、ある種の「人間の神話化」としての「人間学」の繁茂(ヤスパース)、このような一連の動向のなかで、イデオロギー的バイアスを強く帯びた、肖像写真を含む戦時中および大戦間期のさまざまなドイツの写真をまとめた写真集が次々と刊行される――たとえば『ドイツ 1914年‐1924年 偉大さと希望の書』やハインリッヒ・ホフマン『ドイツよ目覚めよ』などの作例。
(つづく)