危機、危険

雑用続き。

■ユンガー写真論
(1月25日の「時代、顔」のつづき)
 たとえばワイマール共和国の批判者であるユンガーは1932年『労働者』において、ナショナリズム的、右翼的視座から第一次大戦後の市民社会の危機について説明をこころみている。しかし、この本は、一貫した、概念的に練り上げられた社会理論というよりも、むしろ社会的経験を比喩的言語とイメージに凝縮することを可能にするような想像力に富む構築物として読むべきである。
 さらに言えば、こうしたイメージの観点から重要なのは次のようなことである。ユンガーが編集した二冊の写真図版入り本『危険な瞬間』(1931)と『変容した世界』(1933)は、とくに、『労働者』の視覚的な手引き本とみなすことができるということである。ページのシークエンスのモンタージュにおいて、それに付随するキャプションのかたちで、私たちはここに実際のイメージを目にすることになる。

…これが第一節の概略および抜粋訳。
 第二節では、新たなナショナリズム思想の主張者としてユンガーがワイマールの近代性の諸テーマについていかなる姿勢をとっていたかが議論される。つまり、都市、テクノロジー、市民的秩序の危機についてである。ここは原著未見なのでひとまず省略。第一次大戦において頂点に達するテクノロジーの進展を、それに対するオルタナティヴを設定するわけではなく、むしろそれを加速化させ、技術によって変容するユートピア的な新たな人間像を提示した論の流れがかいつまんで説明される。
 第三節では、ユンガーによる写真の美的、政治的意義についての理解が説明される。第一次大戦が彼の写真理解には大きな影響を及ぼしている。1930年代初頭に写真とであった彼は、すぐさま先の二冊の写真集を編集する。最初の写真集『危険な瞬間』の序論では、戦争のための武器と写真カメラを並置する議論が行われる。「注意深い観者にとっては、こうした視覚的記録の集積労働と闘争のプロセスとしての戦争を評価するようになるための手段になる」のである。
 一方で戦争のためのテクノロジーは、近代特有の知覚形態を生み出した。それは恐怖とショックを中心にしており、独特な強度によって、そして道徳的な予防手段の欠如によって際立っている。こうした描写のなかで、彼は、恐怖とショックの知覚が図像的に表現される。カール・ハインツ・ボーラーが言ったように、彼は、戦争の文脈からも、政治的歴史的背景からも恐ろしい出来事だけを「遊離」するのである。
 『危険な瞬間』は、カタストロフ、事故、さまざまな危険な出来事についての文字テクストの短い抜粋の集積であり、その写真には当時流通していた写真エージェンシーの商業的写真のイメージが使用されていた。そのターゲットは教養ある中流階級の市民を大きく超えた、新たな技術を志向する公衆である。スペクタクルな記述と写真イメージによる「エンタテインメント」がそこでは用いられていた。
 冒頭のエッセイ「危険について」でユンガーは、「危険な瞬間」が戦場においてのみではなく、技術的領野そのものにおいて見出されると言う。「人類の諸々の発明の歴史は、次のような切迫した問いを提起している。つまり、テクノロジーの隠された最終的目標が絶対的な危険の空間なのではないかという問いである」。
 19世紀と20世紀を分かつ、人間の生活への危険の侵入、この概念は、いわゆる啓蒙のイデオロギーに対抗するための比喩となっている。近代の啓蒙的企図を彼は本質的に「安全〔security〕」の企図であると言う。技術的、政治的安寧を作り出そうとする安全へのベクトル、これが市民の安寧をもたらすどころか、むしろ恒常的な間近の危険を生み出している。
 別のテクストで彼は、戦争における経験の変容の後に、苦痛を回避する手段としての安全へのベクトルをもはや重要なものとみなさない、新たな20世紀的な人間について語る(「苦痛について」)。この新たなタイプの人間の特徴は、「第二の意識」であると語る。「自らを対象としてみなすことのできる際立った能力」、距離を置いた知覚の形式、これが写真メディアにおいてその視覚的な等価物を見出される、このように議論は進む。では写真はそこでどのような機能を果たすのか。(つづく)

あと1回分紹介できると思います。

■素材
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