立体からのずれ

■戦慄迷宮
 呪怨清水崇、ホラー、廃墟病院もの、そして3Dとあれば、仕事上、見ざるをえない。
 というわけで最終日最終上映に駆け込む。予告編はすべて3Dもの。『2012年』とか『アヴァター』とか『クリスマスキャロル』だとか、全部3D版だった。ゲップのでそうな3D尽くし。

 清水作品は、以前あるところにも書いたように、相互の関係において時系列が狂った短めの挿話が重ねられ、最後に幾重ものループを描きながらすべての断片が無時間的な奈落に引き込まれるという構造が多かった。今回は、ひとつながりの映画の連続体のなかで、過去と現実と妄想が入り組み、最後の15分くらいでそれが歯車をかけちがえながら断片的に展開していく構造になっている。もちろん、もうすこし複雑にできそうだ。

 とはいえ、3D表現のいくつかは興味深い。というのも、ホラー3Dは通常、ゾンビがゆらゆらと近づき、戸口や窓の隙間からゾンビの手がこちらに飛び出してくる式の、ステレオタイプ的なものが多いはず、しかし、その先を考えようという箇所がいくつかあった。

 それは、たとえば、飛び出す場所がクロースアップで捉えられた女性の顔と手という複数の面が相互に距離感を欠いたままゆっくりとこちらに近づいてきてえたいの知れない非空間を生む表現だとか、スローモーションと早回しによる奇妙な立体表現とか、霊が姿を消しゆきつつもどこかにあるような立体としてひとびとのあいだをすり抜ける表現だとか、あれこれ発見があり、なるほどと思った。

 3Dの常套表現なんていつでもいかようにでもやってみせることができると言わんばかりの冒頭とエンドクレジットの映像、その間にそこはかとないゆがんでずれたステレオ効果が散りばめさせられる。そこがポイントだった。

 もちろん 他にも。静止とぎこちなさと人形、ヴィデオ、テレビ映像の妙に明るい希薄な質感、目の見えないひとが感知するキルリアン写真のようなイメージ映像、こういうところもポイントとして追加しておこう。